鴨緑江に面して高層マンションが林立している丹東に対して、川を隔てた新義州には、最近でこそ比較的高層のビルもいくつか建つようになってきたが、その大半は低層住宅がへばりつくように並んでいる。
その対照的な光景をさらに深く印象づけるのは、丹東の市街地の北部にある錦江山公園の山頂に建てられた「曙光閣」という展望台からの眺望だろう。


緩やかな登山道は、地元の人々の散策コースとなっているが、この山の展望台は、1932年(昭和7年)に建てられた日本の城郭風の建築だ。鴨緑江に架かる中朝友誼橋とともに、対岸の北朝鮮の町並みを見渡すには格好の場所なのである。
このように丹東では、断橋歩き、遊覧船、展望台といった3種のボーダーツーリズム(国境観光)の醍醐味を体験できる。日ごろメディアを通じて報じられている中朝国境の「実相」を垣間見ることのできるユニークな町なのである。
意外に誰でも訪れることができる
さらに丹東近郊には、中朝関係を洞察するうえで興味深い2つの国境橋がある。
1つ目は、鴨緑江断橋の上流約40キロメートルにある「河口断橋」だ。1942年(昭和17年)に日本が建設したが、やはり朝鮮戦争中に米軍機によって破壊された。


ここでは、丹東市内の喧騒も遠のき、静寂のなかでボーダーツーリズムが体験できる。橋のたもとから、鴨緑江断橋と同様、遊覧船が出ており、航行中には対岸の北朝鮮のひなびた村落や住民たちの姿も間近に眺められる。橋のたもとには、川魚料理のレストランもあり、夏は観光客でにぎわっている。
2つ目は、鴨緑江断橋から約20キロ下流に位置する全長約2キロという巨大な吊り橋である「新鴨緑江大橋(中朝鴨緑江大橋)」だ。
橋の建設は、大部分の資金を提供した中国によって2011年10月から始まり、2014年10月には橋の本体や中国側接続道路が完成し、イミグレーション施設も建っているが、北朝鮮側の税関施設の建設などは、10年以上経ったいまも着工されておらず、未だに開通に至っていない。

筆者は建設前から完成に至る過程とその後も野ざらしのまま、この莫大な投資によるハイスペックな大型国境橋が放置されるさまを、この地を訪れるたび眺めてきた。
いったいこれは何を意味するのだろうか。この不可解な状況について、理解の助けとなる2つの場所がある。
1つは、先ほど述べた展望台の西側の高台に建つ「援朝抗美紀念館」という名の歴史博物館だ。
1949年の建国間もない中国にとって最大の国難となったのが、朝鮮戦争(1950年~1953年)だ。第二次世界大戦後に分断国家となった大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で勃発した、朝鮮半島の主権をめぐる戦争で、西側諸国を中心とした国連軍に対して東側諸国の支援を受ける中国人民志願軍が参戦したものだ。
このとき、いかに中国は北朝鮮のために奮戦したのか、「援朝抗美(朝鮮を助け、米国に抗戦する)」の歴史が展示されているのがこの援朝抗美紀念館である。館内には、中国の歴史博物館によくみられる 自国の政治的主張を伝える歴史解説や 蝋人形を使ったリアルな戦闘シーンなどを描いた数々の展示がある。




