暮らし

2025.09.18 15:00

心理学者が伝授、「自分が心から望む生き方」を始めるたった1つのシンプルな方法

Shutterstock.com

変容する人生経験

「実存的に本物であること」が抽象的に聞こえるなら、足元が急にすくわれたような瞬間を想像することから始めるといい。

advertisement

ルッソ・ネッツァーはこのような瞬間を「変容的人生経験」と表現し、「個人的な世界における地震」と定義している。続けてルッソ・ネッツァーは「現実をどう理解してきたかという土台を揺るがし、何か違うものを築くために新しい領域を切り開く」と説明する。

このような体験は人によって異なる。死別、病気、戦争など明らかに重大なものもある。また、移住や畏敬の念を抱く瞬間、あるいは子育てや退職といった人生の大きな転機のように、明確ではないが同じように人生を不安定にするものもある。だが、共通しているのは、それらは私たちの生活の中で当たり前とされてきたストーリーを崩壊させるということだ。その結果、ルッソ・ネッツァーが「状況的自由」と呼ぶものへの窓が開かれる。

ルッソ・ネッツァーは調査で、次のようなさまざまな話を聞いた。

advertisement

・満たされない結婚生活に終止符を打つよう突き動かした突然の死

・キャリア選択を根底から覆すような、広がりの感覚の力強い体現

・自分自身と向き合うことを余儀なくされた突然のHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の診断

どのケースも見た目はまったく違うが、なぜか同じ現象を観察することができる。不測の事態では脆さを突きつけられるが、同時に無限の可能性も広がる。「このような出来事は、人生が不安定で脆いものであることを思い出させる」とルッソ・ネッツァーは話す。「この脆さを考えたとき、私はどう生きたいのだろうか、という疑問がわく」

本物の対処とごまかしの対処

しかし、誰もが悲劇を自分らしく生きる機会として受け入れるわけではない。 公平を期して言えば、理論上では実際よりもずっと簡単に見える。

回避に陥る人もいる。日常的な行動を区分し、必死にしがみつく。ルッソ・ネッツァーが引用した別の実存主義の哲学者サルトルはこれを、「悪い信仰」と呼んだ。人生におけるすべての選択があらかじめ決められているように装うことで、自由から逃げていることを指す。

「日常的な行動に没頭したり、無感覚になったり、あるいは役割を過剰に見つけるといった回避をデフォルトとするとき、ごまかしの対処が行われることが多い」とルッソ・ネッツァーは説明する。ある意味、悲劇や変化がもたらす不安から身を守る方法だ。だがそれはまた、それでも空虚に感じるかもしれない人生の中に私たちを閉じ込める。

一方、本物の対処は自分の人生と自分自身に好奇心を持ち続けることを求める。私たちは自分の人生に見出したい意味を作り、それを探すことをやめない勇気を持たなければならない。こうした視点を持って初めて、私たちは不安を病気や症状としてではなく、自分のニーズや欲求に関する情報源として扱うようになる。

ルッソ・ネッツァーは、不安や恐怖を単に完全に避けるのではなく、それに対処しやすくする3つの条件を強調する。

1. 不確実性を受け入れる:自分自身の不安に耐える意思があれば、不確実性に苛まれることなく、正面から向き合うことができる。

2. 意味の枠組みをつくる:人間関係やコミュニティ、精神性は私たちを最も支えるものだ。それらはおそらく、不安を私たちの存在への脅威としてではなく、私たちの成長の産物として捉え始めるための手段だ。

3. 価値観を拠り所とする:すべてが不安定だと感じたら、自分にとって最も大切なものを思い出すことだ。これが人生の方向性を示す羅針盤となる。

こうした支えがなければ、自由意志はまったく麻痺したものに感じられる。だがこれらの支えがあれば、自由意志をあるがままに受け入れ始めることができる。つまり真の自由だ。

次ページ > 自分らしく生きる

翻訳=溝口慈子

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事