この「空位時代」という移行期が進んでいくにつれて、多くの人は、かつてグローバリゼーションが与えてくれた数々の恩恵や利益に再びあずかることはできるのだろうか(つまり「復古」は可能なのか)と思いを馳せることになるだろう。他方、グローバリゼーションが打ち壊されたことによる変化はあまりに深甚なため、もはや元の状態に戻すことはできない(「復古」は不可能)と考える人もいるかもしれない。
もし「復古」が実現すれば、民主制や市民社会は健全さを取り戻し、関税が撤回されて貿易の展望は改善し、労働の自由が広がり、貿易紛争はより適切に管理されるようになる。低く安定したインフレと大規模な戦争の不在という、グローバリゼーションによる大きな2つの恩恵も戻って来る。
しかし、米国の第2次ドナルド・トランプ政権の発足から8カ月近くたつ現在、わたしたちはそうしたバラ色の復古シナリオからますます遠ざかっている。むしろ、トランプ政権全体でイデオロギー上の一貫性(政権発足前にまとめられた政策集「プロジェクト2025」にいまだに言及する人もいる)が生まれつつあるように見えるし、同時に米国を恒久的につくり変えようとする強い意欲も感じられる。
過去数週間の出来事も踏まえるなら、次のような動向を予想すべきなのかもしれない。北大西洋条約機構(NATO)や国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)の機能不全、欧州とロシアの公然とした紛争、中国とアジアの比較的規模の大きな国々による地域的な合意、通貨の大幅な変動(おおむねドル安の方向で)、アフリカでの大国(ナイジェリア?)の台頭、2026年後半のAI(人工知能)バブル崩壊、かつてみられなかったほど極端な富の不平等(主に米国とインド)と、それに伴う社会・政治的影響、さらにこの調子で続けて言わせてもらえば、国際的な法の支配や企業間の契約法という考え方の弱体化だ。自分でも悲観的な見通しを強調すぎだとは思うが、これらの動向で「復古」につながりそうなものはほとんど見当たらない。


