WOMEN

2025.09.18 15:15

戦争の犠牲になった愛犬たち、悔恨胸に人と動物が幸せに暮らす社会を追い求める女性獣医師の戦後80年

赤坂動物病院 名誉院長の柴内裕子さんと愛犬の豆乃(まめの)

赤坂動物病院 名誉院長の柴内裕子さんと愛犬の豆乃(まめの)

戦争で命を奪われたのは、人間だけではない。家族同然に大切にされてきた動物たちが、起こっていることも理解できないまま、理不尽に死に追いやられていった。その悔しさとつらい経験から得た教訓を胸に、戦後、人と動物がともに幸せに暮らしていける社会の実現に向けて尽力されてきた女性がいる。国内初の女性獣医師となり、今なお現役で活躍を続ける、赤坂動物病院 名誉院長の柴内裕子さん(90)だ。

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獣医師が、軍馬や食料生産のための家畜を診る職業であった時代に、家庭の中で人間とともに暮らす動物たちにいち早く目を向けた柴内さん。激動の時代、自ら社会に変化の波を起こし、人生を切り拓いてきた柴内さんを突き動かしてきたものとは何か。そして、柴内さんが考える「これからの人と動物がともに生きるかたち」について、戦後80年の節目を迎えた今、お話を伺った。

人を信じ、揺れていた尻尾

1945年、この年を柴内さんは日本が「終戦ではなく、敗戦した年」だと強調する。太平洋戦争のただ中、目にしてきた光景を思うと、終わったという言葉では言い尽くせない、それは惨めなものだった。

柴内さん一家は戦前から、東京代々木にある木々に囲まれた屋敷で暮らしていた。柴内さんはそこで、武家に出自を持つ母から厳しく育てられた日々を、鮮明に覚えていると話す。

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「小学校に入ると私たち兄弟は毎日、上半身裸で庭の木のてっぺんまで登って、明治天皇の御製(和歌や詩文)を斉唱し、百を数えるまで降りてはいけませんでした。これを冬も夏も続けていたのです。大変でしたが、心身の鍛練につながりました」

また、一家は全員が無類の動物好きで、犬や猫をはじめ、アヒルに鶏、鳩、モルモットなど、多くの動物たちと暮らしていた。さらに屋敷には、書生や女中見習いの女性も身を寄せており、幼い柴内さんは、彼らが「この家は住みやすいが、動物の世話だけは大変だ」とぼやくのを耳にしていたという。

5歳の柴内さん(右から2番目)。8人兄弟の3女として育った
5歳の柴内さん(右から2番目)。8人兄弟の3女として育った

そんな賑やかで幸せな生活は、戦況の悪化により一変する。柴内さんは一時、姉とともに静岡県への学童疎開を余儀なくされたが、間もなくそれを中断して代々木の自宅へ戻ってきた。その時の体験は、忘れることができない。東京に降り注いだ焼夷弾の雨は、人や動物に多くの犠牲を出した。柴内さんは、沈痛な面持ちで振り返る。

「1945年3月の空襲による隣家からの延焼で、庭にあった鳥小屋や犬小屋が焼け落ちました。大事にしていたチャボがいたのですが、3羽のヒナを抱いたまま丸焼けになっていました。それを見た時は、情けない気持ちでいっぱいになりました」

さらに、痛ましい出来事は続いた。ある日突然、軍のトラックがやって来て、柴内さん一家が可愛がっていたシェパードのアルとポインターのピースに紐をつけ、荷台に放り込んだのだ。

「愛犬たちを、軍へ供出させられたのです。私たち家族は、何の抵抗もいい訳もできない状態で、2頭をただ見送るしかありませんでした。アルの尻尾が檻の外にはみ出し、揺れていたのを覚えています。

当時、連れて行かれた犬たちは、戦地で兵隊さんのお役に立つのだと聞かされていましたが、多くは違っていました。一般家庭の犬が、戦地ですぐに役に立つはずがありません。後になって知ったことですが、実際には河原などで撲殺され、皮は防寒着に、肉は缶詰にされていたそうです」

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文=西岡真由美 、写真=樋口勇一郎

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