高校時代に抱いた平等への問い
大学の専攻は教育心理学でした。卒論のテーマは「民主主義における本質的平等に関する一考察」。男女の役割分担について都市・中都市・農村で比較しました。そのころは都市部のほうが男性が働き、女性は家庭を守るといった分業意識が強く、田舎のほうが家業をしたり田畑を耕したり男女共にはたらき、教育についても話し合って決めるというような風潮がありました。
この題材にしたのは、高校時代に友人宅に遊びに行ったときの体験がきっかけでした。友人のおじいちゃんとおばあちゃんが座って私の話相手をしてくれたのですが、お母さんはお茶だしをして土間に座っていました。その光景に強い違和感を覚えました。私の家庭は両親が対等にふるまっていましたから、それが当たり前ではないことにびっくりして、そのころから徐々に平等への意識が生まれ、20歳になると必ず選挙にいきましたし、卒論のテーマになったんです。それから「平等な立場でいるために女性も経済的に自立すべきだ」と強く思うようになりました。
恩師から「卒論のテーマが今後の人生についてまわる」と言われていたのですが、今考えると本当にそうでしたね。卒業以降もずっと「男女の本質的平等」について考え、動かされてきました。
卒業後はカウンセラーを目指していましたが、当時心理学は海外から入ってきたばかりの学問で、就職先も少なく「食えない学問」とも言われていました。さらに「カウンセラーになるには10年かかる」とされていたので、現実的なことを考えて夢を断念しました。初めての挫折でした。
新卒でリクルートに入社して、結婚後もしばらくは共働きをしていましたが、子育てのために26歳で退職。当時は「寿退社」が一般的でしたが、私は子育てをしながら働き続けたいと思っていました。ところが義母が病気を患っていたこともあり、夫から「家庭に入ってほしい」と言われたので、やむなく山形に戻り、専業主婦となったのです。それから専業主婦の期間が20年ほど続いたのですが、いつも「働きたい」思いと葛藤しながらの日々でした。
そうした葛藤もあり、子育てをしながら30歳で行政書士の資格を取りました。ちょうど、当時は国際結婚における男女の不平等が問題視されていた時期。当時の国籍法では、男性が外国人と結婚すればその子どもは日本国籍を取得できましたが、女性の場合は認められていませんでした。のちにその国籍法は改正されましたが、不平等な法律や制度が気に入らず、長女がお昼寝をしている合間に勉強しました。でもその後、行政書士として開業するのは49歳のころなので、しばらく先になります。
それでも、育児や義母の看病に追われるなかでフラストレーションが募ることも多くありました。そんなときには「薙刀」の稽古で気持ちを発散していました(笑)。このように、10代20代はやりたいことを諦めてしまうことが多かったです。


