少子高齢化や若者の県外流出といった逆風の中でも、山形県の経済は力強さを見せている。この10年で実質県内総生産と県民所得は増加。名目県内総生産も全国平均を上回る15.1%の伸びを記録した。県産米「つや姫」やさくらんぼの大玉品種「やまがた紅王」といった農産物のブランド化、鶴岡サイエンスパークを拠点とするスタートアップ支援、東北中央自動車道を中心とした物流インフラの整備など、独自の強みを武器に新たな成長ストーリーを描いている。
その山形を率いるのが、女性知事として全国で初めて5期目を務める吉村美栄子知事だ。20年近く県民から厚い信頼を得てきた原点はどこにあるのか。今回、「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2025」のアドバイザリーボードを務めた吉村知事。どんな10代20代を過ごし、何を糧に歩んできたのか、そして次世代に向けたメッセージを聞いた。
幼少期から20代のころは、人前で話すのなんて大の苦手で、内気なタイプでした。何かに挑戦するというより、「安全な選択」をしてきたように思います。それから知事になる転機は、ずっと後になってから訪れました。ただ、振り返ってみると、若いときの経験が今の価値観のベースになり、専業主婦から社会復帰し、57歳での知事選への挑戦へと繋がったのだと思います。
幼少期の夢は「探検家」
幼少期は山の中でハイジのように野山を駆け回ってのびのびと育ちました。そして小学2年生のころ、父がビクトル・ユゴーの『ああ無情(レ・ミゼラブル)』を買ってきてくれたのがきっかけで、読書の世界に引き込まれていきました。気がつけば、図書館の本を片っ端から読破するほどで、ミステリーや冒険小説に夢中になり、当時の夢は「探検家になること」でした。山のなかで生まれ育った私にとって、体験したことない世界を本の中で冒険できて楽しかったんだと思います。
山の向こうの世界に憧れて、高校は山形市内へ。その後はお茶の水女子大学に進学しました。大学生になっても「遠くへ行ってみたい」という好奇心は消えませんでした。1年生のころから家庭教師、エビの皮むき、ハガキの宛名書きなどいろいろなアルバイトをして、1ドル360円の時代に30万円を貯め、3週間のヨーロッパ旅行を実現しました。
フランス、ドイツ、オーストリア、イタリア、スペイン、イギリスをめぐる旅は大きな経験でしたが、同時に「遠くへ行っても人々の営みは変わらない」という気づきも得ました。建物や肌の色は違っても、暮らしの根本は同じ。そう感じてからは、他の土地への憧れは不思議となくなり、山形への目を向ける機会にもなりました。そして「いつか子育てをするなら自然豊かな山形がいい」と思うようになったのです。



