世界を変える30歳未満の30人を表彰するForbes JAPAN「30 UNDER 30」。8回目となる今年は、8月25日に各ジャンルで活躍する若者たち30人が発表された。
受賞者の選出にあたっては、各カテゴリーで活躍する専門家・業界オーソリティ・過去受賞者をアドバイザリーボードとして迎え、候補者の推薦やアドバイスをいただいた。実業家でダンサーのカリスマカンタローもその一人だ。
彼は2005年からダンスバトルイベント「DANCEALIVE」を主催。TVのダンス番組制作やイベントの海外展開などを経て、2020年にダンスのプロリーグ「D.LEAGUE」を創設した。さらにダンスの知財化を目指しブロックチェーンなどを活用した「MOTIONBANK」を制作中。
ダンサーとして活躍しつつ、広い視野を持ちダンス界のプラットフォームづくりに邁進してきたカリスマカンタローは、どのような若手時代を送ったのだろうか。
長崎で生まれ育った私は、子どものころから「世界一になりたい」という明確な目標がありました。自分が世界一になって「争いが減る世界がつくれたらいいな」と思っていました。
例えばサッカーは、ワールドカップなどで皆が集中して試合を見ているときは争いが減っているはず。同じように、非言語表現のダンスも世界中でつながれる。ダンス経済圏が広がれば関連人口が増えて平和が促進されますよね。例えば世界の82億人が1日2時間楽しんでくれれば、それだけ平和な時間が生まれることになります。
以前、戦地で兵士が敵兵とダンスをして仲良くなってしまったという動画が話題になっていました。銃を置いて踊っていて。そんな形が理想です。だから僕の事業はすべてダンスを軸に展開しています。
ダンサーから起業家へ
その夢を叶えるべく東京に出てきたのは大学時代。当時はダンサーと俳優を目指していました。ダンス講師の母親の影響で幼少期からダンスをはじめ、中学・高校時代はサッカーにのめり込み、高校3年生でダンスを再開した後のタイミングでした。
そこから昼間はバイト、夜間に大学、深夜にダンスレッスンの生活。スタジオや中野ZERO前で踊ったりしながら、半年〜1年後にはステージに立つように。2001年ごろからクラブでダンサーとして出演できるようになり、「Shindo(神童)」という名前で活動していました。2002年には仲間と「XYON」というチームを結成し、ストリートダンスのコンテスト大会「JAPAN DANCE DELIGHT」への出場やTV番組への出演などで少しずつ注目されるようになりました。



