ここ数年、怪談やホラーなどのコンテンツが異例の盛り上がりをみせている。2025年に封切られた邦画は『見える子ちゃん』『きさらぎ駅 Re:』『事故物件ゾク 恐い間取り』『近畿地方のある場所について』『8番出口』『カラダ探し THE LAST NIGHT』…と、これでもその一部で本数の多さには改めて驚かされる。
ホラー小説ではモキュメンタリー(ドキュメンタリー風の表現手法を用いたフィクション)が盛り上がりを見せ、体験型のイベントは東京に限っても『視える人には見える展 -零-』『1999展 -存在しないあの日の記憶-』『恐怖心展』が今夏開催されている。
「普段見えていないもの」に惹かれて
日本橋で開催された『視える人には見える展 -零-』に、私も駆け込みで足を運んでみた。本展覧会は「視える人がどう見えているか」を追体験できるというユニークなものだったが、印象的だったのは来場者層の幅広さだった。若年層やカップルが中心ながらも、一人でぶらりと来ている各世代、仕事終わりと思われるスーツ姿の男性、親子、ディズニー帰りの旅行者など、思いのほか多様に見受けられた。
のみならず、巷の怪談バーやトークライブが人気という話も耳にするし、今秋から始まるNHKの連続テレビ小説『ばけばけ』は、『怪談』などの著作で有名な小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻セツをモデルにしたドラマだ。
こう少し調べてみるだけでも、いま日本では、1990年代のホラーブーム(映画『リング』などのJホラーに代表される)から、さらに多角・多面化した一大ホラーブームが起こっていることが分かる。
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「この世に存在する美しいものをこの目で見てみたい」おおげさかもしれないが、そう願って私は生きてきた。いまこうしてデザインの仕事をしているのも、もしかすると何か関係があるのかもしれない。しかしこの気持ちは何も職業に由来するものではなく、多くの人が持ち合わせているものではないかと思う。
雑誌で見かけた絶景が忘れられずに旅に出る人もいれば、SNSで気になった美術展に連れ立って出かけたり、道端で不意に出会う季節の花々に心和ませる人もいるだろう。
しかし人は単に「美しい」ものばかりでなく、ときにグロテスクなもの、不気味なもの、禍々しいものなど、あまり日常では目にしない、目を向けていないものに惹かれる一面があるのもまた事実だ。
人のこころの奥深さやアートの面白さ、あるいはいまブームとなっている怪談の妙というのは、日常的には陽の当たらない部分にフォーカスを当て、その存在を指し示して、気づかせてくれることも一つの魅力であるように思う。それぞれが、それぞれの事情を抱え仕事や生活に追われるなか、何かのタイミングで“普段見えていないもの”に気づくことによって、私たちの世界は本来の姿を保とうとしているのではないか。



