こうした文脈において、マクロン時代のみじめな終わりからは教訓を3つほど引き出せるかもしれない。
1つ目は、主要経済国はいまや完全に「債務の時代」に突入しているということだ。債務の時代とは、債務の影響が政治情勢や金融市場、地政学的状況、社会全体に及び、それらを左右する時代を指す。世界の経済大国がこれほど債務依存を深めたことはかつてなかった。しかも複数の国が同時にそうなっているために、いずれ債務の削減を進めていく場合、よリ大きな混乱を伴うことが予想される。
米国のドナルド・トランプ政権は債務をめぐるこうした問題を認識しており、政府の債務負担をより持続可能なものにしようと、きわめて異例でリスクの高い手段をとろうとしている。英国では自国の財政の脆弱さは広く認識されているものの、政策当局者はこの問題への対処で相変わらずリスク回避姿勢が強い。フランスはと言えば、同様の脆弱性を認めようとすらしておらず、これは調整時の痛みをますます大きくするだけだ。
フランスでは、政策エリートもどの政党も、自国の財政状況に真剣に対処する意欲に乏しく、まるで豪華な服を着た物乞いのように、相変わらず分不相応な生活を続けようとしている。フランスは、当面はユーロの陰に隠れることができるだろうが、ユーロ圏のほかの加盟諸国はそのうち、フランスが新たな欧州債務危機の引き金を引かないか警戒を強めるようになるだろう。その行き着く先は、フランスの経済的自律性の喪失である。
2つ目の教訓は、世界でだんだん減ってきている民主制国家で活動する中道政党に向けたものだ。旧来のグローバル化された秩序がほころび、大国が欧州情勢に干渉するなか、中道政権は移民問題や債務問題、地政学的問題に対して、真正面から、もっと積極的に取り組む必要がある。そうしなければ、周縁の政党がその無為無策につけ込み、さらに勢力を伸ばすことになる。中道勢力が思い切った改革に踏み出せば、欧州の政治の進め方はがらりと変わるだろうし、その先に、よりシンギュラー(統一的、特異)な政治風景が現れることになるはずだ。
マクロン時代の終わりから汲み取れる3つ目の教訓は、あくまで欧州に関するものだとはいえ、多くの米国人にも響くところがあるだろう。欧州は、自分たちの運命に関するナラティブ(物語)の主導権を握り、その内容を変えていく必要があるということだ。欧州の指導者たちはこれまで、ホワイトハウスの要求やクレムリンの暴力に対してあまりに受動的だった。
マクロンには、欧州が世界での自らの役割に関するナラティブを形づくるうえで、大きな期待を果たすことが期待されていた。とくに、ドイツをはじめほかの多くの欧州諸国が明晰な考えやリーダーシップに欠けてきただけに、なおさら頼みにされていた。欧州のナラティブでは、民主制、法の支配、教育、医療、文化といった価値ある公共財に関して、欧州はますます世界で最も優れた場所になっているという点を強調すべきだ。問題は、それを支えるための財源をどう確保するかにある。


