島の記憶と重なるエールが、次の世代へ届いた
さらに寄付者の多くは、かつて壱岐高校で白球を追ったOBたちもいた。「自分も野球部だった」「あのグラウンドの土を今も忘れない」──そんな言葉が、現役部員たちに届いた。市から高校へ寄付メッセージを共有すると、選手たちも応援の重さを感じ、試合への覚悟を新たにしたという。
このプロジェクトは、地域社会と高校の関係にも変化をもたらした。壱岐高校は県立校であり、クラウドファンディングを通じて、校長先生をはじめ教職員との信頼関係がさらに深まった。
「市と高校が、地域と子どもたちの未来を共に考える関係になれた。それが一番の財産だと思います」

島に残る選択。その覚悟が、人を動かした
壱岐高校野球部は、島外への野球進学を選ばず、地元に残る選択をした選手たちで構成されていた。中学卒業時点で既に「このメンバーで甲子園へ行こう」と決めていたという。
スカウトの誘いを断り、仲間と島に残る決断。そこには「島で育ち、島で勝つ」という強い意志があった。だからこそ、この物語に島民は心を打たれたのだ。

壱岐市にとって、これは単なるクラウドファンディングの成功例ではない。「“助けてください”ではなく、“未来を一緒につくってください”と呼びかけるプロジェクトができた」。寳来さんはそう振り返る。
島の誇りが、次の挑戦の種になる
今回の経験は、島の可能性を再発見する機会となった。これからも、文化や教育、スポーツ──さまざまな分野で壱岐から全国へ発信していきたい。そんな想いが、行政にも市民にも芽生えている。
「壱岐は、海も食も人も豊か。だからこそ、子どもたちにはこの島を“誇り”だと感じてほしい。そしていつか、また戻ってきて、次の世代を支えてくれる。そんな循環を、このプロジェクトから育てていきたいですね」
春の甲子園で白球を追った高校生たちは、いま島の“希望”そのものだ。ふるさと納税という仕組みは、彼らを応援する“仕組み”にすぎない。しかしその仕組みの先にあったのは、数字では測れない「エール」の交換だった。

壱岐から甲子園へ。 その旅路は、ただのスポーツの記録ではない。 島の未来を信じる人々が、想いと支援を一つにした軌跡である。


