国内

2025.09.09 13:30

100年前からの警鐘

Triff / Shutterstock.com

だが、多様化社会は10年も保たず全体主義に豹変した。中国情勢と国際関係が緊迫すると、多様な政治勢力は次第に合同し、社会民衆党は社会主義 を唱えながらも強い国家主義を主張した。折からのナチスドイツの勃興を、日本はポジティブにとらえた。これをあおったのは主要メディアの新聞とニューメディアのラジオだった。ラジオ活用に長けた近衛文麿が総理の座に就いた。優柔不断な性格が後顧に憂いを残すものだったが、ラジオのつくり上げたカリスマ像は強力だった。人々は挙国一致の国家総動員体制をあるべき姿と考えるようになっていった。メディアで価値観の多様化を経験した国民の多くが、同じメディアの影響でたちまちに全体主義に舵を切った。

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社会大衆党がこうした世相に便乗して解党、政友会、民政党も解散して大政翼賛会が発足した。

あの時代からちょうど100年後に私たちは生きている。先の参議院議員選挙で思い出したのが祖父伝造の体験談であった。

大正デモクラシーは今でいうDE&I(多様性、公平性、包摂性)だったと思う。東京市長永田秀次郎は「男性と伍して雄々しく活動している現代女性の姿こそ日本の象徴」と賛美していた。政党政治の勃興も顕著だった。それが短時日で極端なナショナリズムと全体主義、そして悪夢のような軍国主義に走っていった。リベラルの風潮は瞬きする間に神国日本の叫び声にかき消された。昭和版日本ファーストだ。

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古今東西、人間は閉塞感が限界に達すると極端な暴走を始める。同調圧力にも弱い。 

祖父の警句を反すうしている。「歴史は繰り返さない。繰り返すのは、歴史を忘れる、という俺たちの悪い癖だ」。

現下の日本が国内的にも国際的にも厳しい状況にあることは多言を要さない。この先、私たちはどのような道を選択していくのか。猛暑のお盆に、蝉時雨がやかましい大磯に、祖父の墓参に行ってきた。


川村雄介◎一般社団法人 グローカル政策研究所 代表理事。 1953年、神奈川県生まれ。長崎大学経済学部教授、大和総研副理事長を経て、現職。東京大学工学部アドバイザリー・ボードを兼務。

文=川村雄介

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