それから10年かからずに、アルマーニは米国で最も売れる欧州人デザイナーとなる。イタリア製品の独自性を訴える「メイド・イン・イタリー」運動の終盤、彼の始めた仕事が、ミラノ、そしてより広くイタリアのファッションを、パリに匹敵するほど重要なスタイルの権威として、人々に認知させるために貢献したことは疑いようもない。
1980年、ジョルジオ・アルマーニはポール・シュレイダー監督の映画『アメリカン・ジゴロ』で主演したリチャード・ギアの衣装を担当する。その後、『アンタッチャブル』や『マイアミ・バイス』にも携わった。それから数十年にわたり、アルマーニは世界で最も有名な人々が、全世界でテレビ中継されるレッドカーペット上で着用するための衣装を手がけてきた。
1990年代になると、ジョルジオ・アルマーニ社は「アルマーニ・ジーンズ」や「エンポリオ・アルマーニ」などのブランドを展開して拡大し、さらにサングラスや化粧品などのライセンス事業も開始。その中にはロレアルと提携した香水の事業も含まれる。イタリアのマスコミは彼を「キング・ジョルジオ」と呼び、GQ誌は彼が「トータル・ルック(服飾全体)」をデザインしたと書き立てた。
しかし、悲劇が訪れる。1985年、アルマーニのパートナーだったガレオッティが、エイズ関連疾患により40歳の若さで亡くなったのだ。アルマーニは悲嘆に暮れ、引退も考えたが、彼の最愛の人はこの悲しみを乗り越えることを望むに違いないと確信。「彼のお陰で、私は自分の仕事を信じられるようになった」と、アルマーニは後に語っている。
アルマーニの帝国と遺産
アルマーニは自分の家族を持つことがなかった。パートナーだったガレオッティの死後、彼は仕事に没頭し、比較的小さなイタリアの会社を、数十億ドル規模の世界的な帝国に変えた。この巨匠はキャリアを通して、投資家を迎え入れる誘惑に抵抗し続けた。彼が死去するまで、このブランドはアルマーニと彼の親族が完全に支配する企業であり続け、ファッション界における建設的な変化を起こすために、その立場を活用してきた。
ブラジル人女性モデルのアナ・カロリナ・レストンが、過激なダイエットから拒食症で2006年に亡くなった際、アルマーニはBMI18未満のモデルとは仕事をしないと決めた最初のデザイナーとなった。2016年には動物毛皮の使用を止めることを宣言した。


