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2025.09.06 15:00

京都「大垣書店」、出店成功の秘訣とは?|大垣守可×小山薫堂スペシャル対談(前編)

放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」に、大垣書店 取締役/営業本部長の大垣守可さんが訪れました。スペシャル対談第19回(前編)。


小山薫堂(以下、小山京都を代表する大垣書店ですが、創業は何年ですか。

大垣守可(以下、大垣1942(昭和17)年なので、今期が83年ですね。

小山:戦時中に始まったんですね。最初はどんな書店だったんですか。

大垣:烏丸北大路にあった、いわゆる軒先商店でした。曽祖父が始め、それを法人にしたのが祖父です。学校教育が始まり、教科書ビジネスというのが当時の書店を大きくしたんですよね。

小山:小さな軒先商店が、いまや一等地にビルを建てるまでに! 何か転機になるようなことがあったのですか。

大垣:2002(平成14)年に出した烏丸三条店は、社内でも「最大の挑戦かつ最大の成功」といわれています。それまでは小さな店がいくつかあっただけなのですが、烏丸三条という当時は銀行街で土日は人が歩いていないエリアに、父が出店を決めて。現地で朝から晩まで座って人の数を数えたり、駅の上という場所柄への信頼はあったようですが、具体的な決め手があったわけではなく、父の勘所だったようです。

小山:何か特別なコーナーをつくったりは? この書籍を重点的に置くとか。

大垣:特に力を貸してくれたのが中央経済社という税法会計などに強い出版社で、開店時に同社の専門書を大量に並べていただき、管理の仕方や売り方を教わったことで、想定以上の成果が出たと聞いています。やはり3年~5年かけてのチューニング期間が大切だし、書店経営の肝ですね。

通過せず、目的を叶える場所へ

小山:「書店」って、気軽に入れて、何も買わなくても出て行ける唯一の店だと思うんです。アパレルとかだと店員さんの視線を感じるし、コンビニだと万引きに間違えらそうとか(笑)。そういうのがない書店が好きなんですが、大垣さんが出版不況を最初に感じたのはいつごろですか。

大垣:業界のピーク自体は1996年です。露骨に結果として出始めるのは、雑誌とコミックが悪くなり始めたとき。書店ビジネスの利益構造で考えると、そのふたつが大半をもっているんですよ。数カ月に1回来店して5000円分購入してくださる人ももちろん大切なお客様なんですが、雑誌やコミックのために週1回必ず買ってくれる人って、書店にとっては神様なんです。

小山:なるほど。それは飲食店でも同じですよね。そういう不況が30年いわれているというなか、大垣書店は東京の麻布台ヒルズに出店するなど、勢いがある感じがする。その勢いはどこから来ているのですか。

大垣:一言で言うのは難しいのですが、やはりリスクを取って出店しているのはあるのではないかと。2010年のイオンモールKYOTO店は、フロア面積が先の烏丸三条店の4倍はありましたし、最初の2、3年は正直厳しかったですが、認知されたら実績が一気に上がりました。そこからイオンさんとの関係が深まり、京都桂川、富士宮など出店を増やしています。

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写真=金 洋秀

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