起業家

2025.09.05 10:00

シカゴ「ホットドック王」から不動産投資家へ、「昔は楽しかった」と漏らす富豪の幸福

Joseph Hendrickson / Shutterstock.com

ホットドッグスタンドから始まった叩き上げの半生

ギリシャからの移民の母と、工場で働きながら保険のセールスマンをしていたメキシコ移民の父との間にシカゴで生まれたポルティロは、公営住宅で貧しい幼少期を過ごした。優秀な学生ではなかった彼は、1957年に高校を卒業してから7日後に海兵隊へ入隊した。

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カリフォルニア州のキャンプ・ペンドルトンで2年間を過ごした後、彼はシカゴに戻り、高校時代からの恋人のシャロンと結婚した。その後、スクラップ置き場や工場で働き、トラックを運転し、貨物車の荷下ろしを行った。シャロンはウエイトレスとして働いた。

しかし、一人目の子どもが生まれ、さらにもう1人が生まれるタイミングで、ポルティロは、人生を変えたいと思うようになった。「両親の口論のほとんどはお金のことだった。私は貧乏にはなりたくなかった」と彼は言う。「このままじゃ、同じようにお金に苦しむ人生に進んでしまうと思った。私は何の専門的な訓練も受けていなかったから」。

わずかな元手で事業を開始

その頃、シカゴの街に数多くのホットドッグ屋台が並んでいるのに気づいたポルティロは、自分でも屋台を始めようと決意したが、競争が少ない郊外を狙った。1963年、彼はシカゴ郊外のビラパークに最初の屋台を開いた。当時23歳だった彼は、妻を説得して2人の全財産である1100ドル(現在の価値で約1万1600ドル[約172万円])をつぎ込み、「ザ・ドッグハウス」と名付けた。兄のフランクも同額を出資したが、ポルティロは4カ月後に彼の持分を買い取った。

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レストランの経営やホットドッグのことを何も知らなかったポルティロは、競合店をつけ回し、肉やパン、調味料をどこから仕入れているのかを探り続けた。やがて事業は軌道に乗り始め、売上は毎年倍増していった。1967年にはついに屋台を卒業し、レンガ造りの店を構えて店名を「ポルティロズ」に改めた。(このときになって、ようやく専用のトイレも設置した)。

ドライブスルーにトランシーバー導入、複雑なメニューで大手チェーンに対抗

ポルティロは、競合を打ち負かすために、思いつく限りの工夫を凝らした。1983年に初めてドライブスルー店舗を開いたときには、息子のマイケルに家電量販店のラジオシャックでトランシーバーを買わせ、客が列に並んでいる間に一方が注文を取り、もう一方が厨房に伝えて料理を作らせる仕組みを考案した。「正直言って、人生で聞いた中で一番ばかげたアイデアだと思った」と語るのは、現在65歳でポルティロズのレストランサポート担当副社長を務めるマイケルだ。「ところが、父は正しかった。すぐに効果が表れた」。

ポルティロはまた、全国展開するファストフードチェーンとの差別化を図るため、あえてメニューを複雑にしていった。「マクドナルドやバーガーキングと戦えるだけでなく、叩きのめせると考えていた。ホットドッグだけじゃなく、チキンは2種類、ポーリッシュソーセージも2種類、ハンバーガーやサラダまでそろえたんだ」と彼は語る。当然それには従業員への徹底的な訓練が必要で、1988年のマニュアルには鍋の洗い方から客への声かけまで細かく指示が記されていた。その後、何十年も彼の下で働き続ける従業員も多かった。「私は、海兵隊でチームワークや組織化、そして訓練の大切さを学んだ」とポルティロは付け加えた。

1988年までに、ポルティロの事業は年間売上高2000万ドル(約30億円)を上げるまでに成長していた。その年、フォーブスは彼を「新進気鋭の起業家」として取り上げた。記事では、彼がすべての店舗をアンティークで飾り立て、それぞれに1930年代の軽食堂から1950年代のダイナーまで異なるテーマを与えていたことが紹介されていた。「普通のファストフード会社がやらないことを、私はやっている」とポルティロは、その記事で語っていた。

ポルティロズが、初めてイリノイ州の外へ進出したのは2005年のことで、カリフォルニア州に店舗を開いた。その5年前に同社は、すでに全米への配送を始めており、シカゴから移住した人々が多い都市を狙っていた。ポルティロズは、2013年までにインディアナ州とアリゾナ州にも進出し、スコッツデールに開いた新店舗では、開店初日に数百人が列を作り一日8万2000ドル(約1200万円)を売り上げた。「私は1年で4店舗を開いたが、1セントも借金せず現金で賄った。店を開けば、客は熱狂した。まるで札を刷っているようなものだった」とポルティロは語る。

複雑なメニューを維持しながらも地元のシカゴ以外へ進出し、なおも売上を伸ばし続けるポルティロズの手腕は、バークシャー・パートナーズのような外部投資家の注目を集めた。「彼らは競争の激しい市場の中で唯一無二のレストラン業態をつくり上げた」と語るのは、ポルティロズの取締役であり、2021年の上場に関わったバークシャーの取締役のマイク・マイルズだ。「平均的なポルティロズの店舗はドミノ・ピザと同等の宅配をこなし、マクドナルドを大きく上回るドライブスルーの注文をさばいている。彼らは、異なる客層に訴求する多様なメニューを用意しながらも、実行不可能なほど複雑にはならないよう意識的に設計していたのだ」。

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編集=上田裕資

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