一方、北朝鮮を逃れた元朝鮮労働党幹部によれば、高田氏が指摘した通り、朝鮮戦争を除いて北朝鮮が戦死者を大々的に追悼するのは今回が初めてだという。北朝鮮はベトナム戦争では空軍パイロットを中心に派遣した。墓は平壌郊外の新美里愛国烈士陵にあると言うが、これまで国内で大きく取り上げられたことはない。2004年からベトナムに住み、ハノイで取材コーディネーターを営む新妻東一さんによれば、ベトナムのバクザン省ランザン県に「朝鮮烈士墓地」がある。そこには、ベトナムで戦死した19歳から38歳までの兵士14人の墓碑がある。遺骨はなく、北朝鮮が自国に持ち帰ったという。
韓国の情報機関、国家情報院は4月、北朝鮮がクルスク州で約600人の死者を出したと報告した。負傷者も合わせると約4700人に上るという。それだけの大きな犠牲を払った以上、北朝鮮としても何らかの顕彰をしないわけにはいかなかったのだろう。南北関係筋によれば、北朝鮮軍のロシア派遣第1陣は今年春ごろにすでに帰国した。生還者には一人、2000ドル(約30万円)の特別賞与と1カ月以上の特別休暇が与えられたという。同筋は「秘密厳守を申し渡したうえで、生還した兵士が家族と面会することも許可したようだ」と語る。
遺族が平壌に住み、子弟が革命学院に通うというのは、かつての抗日パルチザンの子弟と同じ扱いをするという意味だ。ただ、抗日パルチザンには、ソ連軍の一部だったという実態はともかく、「日本帝国から祖国を解放した」という大義名分があった。脱北者の一人も「抗日パルチザンやその子弟に良い住宅や職業が与えられても、皆納得していた」と語る。
では、ウクライナ軍と戦った北朝鮮軍兵士にどのような大義名分が与えられるのか。「北朝鮮当局は、ロシアに侵攻した韓国軍と戦ったと市民に説明している」と伝える北朝鮮専門メディアもあるが、真偽はわからない。金正恩氏は第2回の授与式で「朝鮮民族の力と朝鮮人民軍の尊厳と名誉を守った偉大な戦士」と語ったが、「何のために誰と戦ったのか」について詳細な説明は避けた。前日の元党幹部によれば、抗日パルチザンの子弟も3代目、4代目に移っている。最近では、朝鮮戦争の戦死者の遺族はもちろん、対南工作の功労者の遺族など、「体制を守ったと認定された人物の遺族を広く受け入れている」という。
亡くなった兵士の遺族は気の毒と言うほかないが、結局は、「金正恩体制を維持するための功労者」として位置づけられたということなのだろう。


