30U30

2025.09.13 14:15

民間版世界銀行をつくる五常・アンド・カンパニー慎泰俊 20代は「自意識からの脱却」

20代の頃から外資系金融機関で勤務する傍ら、認定NPO法人Living in Peaceの代表として途上国での小口融資などに取り組んできた慎泰俊。その後「民間版の世界銀行をつくる」を掲げ、2014年に新興国向け小口金融事業「五常・アンド・カンパニー」を共同創業。現在はアジア・アフリカ14カ国で事業を展開し、2025年3月末時点で顧客数は340万人に上る。

今回「世界を変える30歳未満」の30人、Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2025のアドバイザリーボードを務めた慎に、U30時代に人間性や考え方を形づくった出来事を振り返ってもらった。


人生観を変えた3つのターニングポイント

10代後半から20代にかけて、人生観が変わるターニングポイントが3つありました。ひとつは、海外での経営学修士(MBA)留学を諦めたことです。

僕は法律的には無国籍者として扱われているので、パスポートを持っていません。海外に行くときは、日本政府から発行された「再入国許可証」をパスポート代わりにして移動するのですが、現地の空港ではよくトラブルに見舞われます。

そういった経験から、すべての人が生まれにかかわらず自由に生きていける社会が理想だと考えるようになり、大学生のころは人権運動に参加していました。でも、こういった活動をするにもお金が必要で、「社会の土台は資本主義でできている」ということを痛感するようになりました。

そこで、経営学を学ぼうと大学卒業後にMBA留学を目指しました。ですが、MBAは社会人経験を重視することもあり、当時職務経験がなかった僕は不合格。ただ、大卒でも受かる人は受かっているので、要は自分の実力不足でした。

そもそも留学を考えたきっかけも、知り合いから「留学に行くのならお金は出すよ」という誘いを受けたからでした。試験に落ちたあとに、「誰かがお金を出してくれるから留学を目指すなんて、おかしいな」と気づきました。自分の人生なのに、他人依存だった自分を恥じました。それからは自分の人生の決定を他人に委ねず、今の自分にできることを地に足つけて取り組もうと考えるようになりましたね。

MBAの不合格通知をもらったのが確か23歳の夏です。その数カ月後に、海外留学が無理なら国内で大学院に行こうと思い、その次の春に早稲田大学大学院ファイナンス研究科に入ったのが24歳。

留学準備の2年間を棒に振ったという焦りがあったので(とはいえ、この期間にはたくさんの読書、バンド活動、演劇などいろいろとやっていたのですが)、在学中に実務も学ぼうと、モルガン・スタンレーキャピタルで派遣社員のアルバイトを始めました。これが2つ目のターニングポイントです。

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文=露原直人 編集=川上みなみ 写真=木村辰郎

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