5月31日早朝、アイリスグループのホームセンター「ダイシン幸町店」(仙台市)には長蛇の列ができていた。政府が随意契約で放出した備蓄米が初めて店頭に並んだのだ。社長の大山晃弘は心境をこう明かす。
「お米が高くて困っているという話は聞いていました。白米の消費量は年々減っています。米価が高止まりしているとコメ離れがさらに進みかねない。米価を下げることができて本当に良かったなと」
小泉進次郎農林水産大臣が随意契約による備蓄米放出を打ち出したのは5月21日。24日には大臣から連絡を受け、随意契約申し込みを打診されている。契約を結んだのは27日。精米機をフル稼働して、予定を2日前倒しして店頭販売にこぎつけた。
随意契約の備蓄米を5月中に店頭販売したのはアイリスオーヤマとイトーヨーカ堂だけだ。多くの小売業者が随意契約するなかで、なぜいち早く店頭に並べられたのか。それにはいくつかの理由がある。
備蓄米の玄米を白米にするには精米のプロセスが必要だ。アイリスオーヤマはグループに精米会社があり、設備やノウハウがあった。
「さまざまな変化に対応できるよう、普段から稼働率に約30%の余裕をもたせています。精米の能力も余裕があり、スピーディに対応できた」
そもそもなぜ同社は精米事業を手がけていたのか。ルーツは水産・農業資材を製造する大阪の町工場。父・健太郎(現会長)の代に農家の多い宮城県に移転した。その後、生活雑貨の製販一貫モデルで成長してきた。
農業に再び接近したきっかけは東日本大震災だ。
「塩害で農業をやめる沿岸部の農家さんが多かった。地元企業として地元の農家さんから全量買い取りして応援できないかと、13年から精米事業を始めました」
精米市場は縮小トレンドにあるが、同社は市場が拡大していたパックごはんに着目。低温製法米・脱ペーハー調整剤で付加価値をつけた商品を開発して成長させた。
成熟市場からは「選択と集中」で撤退するのが経営のセオリーである。しかしアイリスオーヤマは成熟市場においても、ユーザーインの発想で商品開発を行い、市場創造を目指す。この経営戦略で精米事業への投資を続けていたからこそ、今回の環境変化にも対応できたのだ。
もうひとつ、即断即決のリーダーシップも大きい。秘訣を尋ねると、「常に現場とコミュニケーションしているから迷わない」という。
アイリスオーヤマには電子日報制度がある。大山は毎日、往復2~3時間の通勤の車内で現場からあがってきたばかりの日報に目を通す。環境変化が起きてから情報収集するのではなく、常に最前線の情報がアップデートされているため、即座に決断できるというわけだ。
情報量が増えれば、いろいろな見方が出てきてかえって迷わないだろうか。そう問うと「最後はユーザーイン。お客様にとって何がいいかで判断します」と揺るぎない。
考古学者を夢見ていた大山が、家業を意識したのは大学進学で渡米してから。「日本では近すぎた。遠くに離れて父の偉大さがわかりました」。そのままアメリカのグループ会社に就職し、ユーザーインの発想で商品開発した。
「従業員や友人の家にお邪魔して住環境を研究。するとクローゼットに置く収納用品が奥行きに合っていないケースが多かった。そこを改良した収納用品がヒットして、今では日本や中国でも人気です」
海外畑が長く、アメリカのみならず欧州や中国でも現地法人のトップを務めた。各国のマネジメントを経験して身につけたのはコミュニケーションのスキルだ。
「アメリカは上意下達、欧州は議論して合意形成、中国は本音と建前を理解しないと進まない。さまざまな経験をしたことで、今は複合的に使い分けながらやっています」
大山は「父のようなカリスマ性はない」と自認。18年の社長就任後はチーム経営にシフトしている。生活雑貨から家電、法人ビジネス、そしてパックごはんや飲料水などの食品まで、多様なビジネスを手がける組織がうまく機能しているのも、大山が経営幹部や現場と適切なコミュニケーションをとっているからだろう。
社長就任時に掲げた売り上げ1兆円の目標は足踏みが続いている。コロナ需要の反動もあって2期連続の減収に。24年12月期には増収に転じたが、焦る様子はない。
「『何年までにやる』と年度にこだわり過ぎました。備蓄米もそうですが、生活全般を提案する企業になればおのずと達成されるでしょう」
大山は確かにカリスマ型ではないのだろう。しかし、その口調には静かな自信が満ちあふれていた。
おおやま・あきひろ◎1978年生まれ、宮城県出身。1997年に東北学院高校を卒業、1999年にベロイト大学へ。2001年に中退し03年に米アイリスオーヤマに入社。10年に帰国し、グローバル開発部長、執行役員を経て、15年に取締役。18年より現職。



