欧州

2025.08.25 08:30

クリミア半島は本当にロシア「固有の領土」なのか? 複雑な歴史を振り返る

ウクライナ南部クリミア半島ヤルタ近郊の観光名所「ツバメの巣」。2014年9月29日撮影(Getty Images)

クリミア半島はなぜロシアにとってそれほど重要なのか?

18世紀後半になると、クリミア半島は脅威にさらされるようになる。帝国の領土拡大に乗り出したロシアの女帝エカテリーナ2世が黒海に目を向けたためだ。エカテリーナ2世は、ロシアの北部と東部の海域は凍結しているが、温暖な黒海では自国の商船が自由に航行できることに着目したのだ。黒海に進出すれば、ロシア帝国はトルコ海峡を経由して地中海に出ることができ、欧州全土に経済的、政治的影響力を拡大することができるようになる。

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帝国主義的な野心と西欧や中欧との貿易権を獲得したいという願望から、ロシア帝国はクリミア半島でオスマン帝国に対して攻撃を仕掛けた。第一次露土戦争と呼ばれるこの戦争では、ロシア帝国とオスマン帝国が1768~74年にかけて、クリミア半島の支配権を巡って争った。ロシア帝国はオスマン帝国を破り、クリミア・タタール人は政治的に独立するものと思われた。だが、ロシアのクリミア半島への関与はこれだけではなかった。オスマン帝国との戦争後も、ロシアは黒海への出口を求め続けた。ロシア帝国はクリミア・タタール人による反乱を鎮圧し、同半島の支配権を獲得。クリミア半島は1783年、ロシア帝国に完全に併合された。

クリミア半島を併合したロシア帝国は、クリミア・タタール人にとって不利なさまざまな政策を実施し始めた。帝国はロシア系労働者を同半島に移住させ、黒海に重要な海軍拠点を築き、港湾都市セバストポリを建設した。半島に移住したロシア人は、現地でロシア語学校やロシア正教会などの文化施設を次々と設立し、影響力を拡大していった。

クリミア半島の人口構成はロシア統治下で大きく変化した。1835年のロシア帝国の国勢調査によると、クリミア・タタール人は半島の住民の8割以上を占めていた。ところが、1897年までにその割合は36%にまで縮小し、ロシア系住民が著しく増加した。その後、1920年代までに同半島の住民はロシア系が過半数を占めるようになった。

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ソビエト時代の1944年、最高指導者ヨシフ・スターリンは黒海地域の支配を強化するため、20万人を超えるクリミア・タタール人を半島から追放した。この強制移住により、クリミア半島ではタタール人が激減し、文化的、言語的なロシア化が進められた。

ロシアはなぜクリミア半島をウクライナに移管したのか?

スターリンによるこうした政策にもかかわらず、クリミア半島は長くロシアの支配下にとどまることはなかった。スターリンの死後、ニキータ・フルシチョフがソビエト連邦の最高指導者となり、ロシアとウクライナの国境が変化することになる。フルシチョフは1954年、クリミア半島の帰属をソ連邦内のロシア共和国からウクライナ共和国に合法的に移管したのだ。同半島は1991年にソ連が崩壊するまで、ウクライナ共和国の管轄下にあった。

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翻訳・編集=安藤清香

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