パルテノペが体現する若者の痛み
パオロ・ソレンティーノ監督の前作は、前述したNetflix製作の「The Hand of God−神の手が触れた日−」だが、この作品はソレンティーノ監督の自伝的要素を含んだものでもあり、彼の故郷でもあるナポリが舞台となっている。
言わば、同じくナポリを舞台にしている「パルテノペ ナポリの宝石」とは対となっている作品なのだ。ソレンティーノ監督の風景描写には定評があり、「グレート・ビューティー/追憶のローマ」で描いた、ローマのコロッセオをバックにしたパーテイーの描写などは深く印象に残っているシーンだ。
「The Hand of God−神の手が触れた日−」でも、ナポリの街は愛惜が込められたノスタルジックな映像で描かれていたが、女性を主人公に据えた「パルテノペ ナポリの宝石」では、さらにそれにエレガントさも加わり、この街に対する多様な想いが美しい映像から鮮やかに伝わってくる。
パルテノペという1人の女性の人生を描いた作品なのだが、その端々からは彼女を通してナポリという街そのものを描こうとするソレンティーノ監督の強い意思も感じられ、それは冒頭と終幕に登場する海から見たナポリの街の俯瞰ショットにも象徴されている。
筆者は、映画を観て舞台となった場所に出かけたいという気持ちを抱くことはそうそうないが、この「パルテノペ ナポリの宝石」と「The Hand of God−神の手が触れた日−」は、観賞後には心はナポリに飛び、深くこの街への旅情を喚起させられる作品だ。
映画は人間の視覚を利用した表現ではあるが、ソレンティーノ監督の作品はまさにそれを最大限に稼働させた作品であると言ってもいい。没入感あふれる映像美は、描かれている物語でさえ後景に押しやる。その卓抜したスキルはまさに「巨匠監督」と呼ぶにふさわしいものと言ってもいいかもしれない。
「パルテノペ ナポリの宝石」は、見事なまでに展開される映像美も観賞には値するものだが、主人公を演じたセレステ・ダッラ・ポルタの演技も、この作品をさらに印象深いものにしている。
ソレンティーノ監督にとっては、初めての女性主人公を描いた作品だけに、キャステイングには最大限の注力をしたことは想像に難くない。監督は次のように述懐している。
「容姿の美しさにはそれほどこだわっていませんでした。容姿は人生に必要な要素ではない。美しさが人々の人生に影響を与えることは事実だが、人生を生き延びるためには、他のスキルを身につけなければならない。パルテノペ役のセレステが美しいかどうかさえ、私には言い切ることはできない」
確かに「パルテノペ ナポリの宝石」では、主人公は美しさだけではなく、ジョン・チーヴァーの熱烈な読者であったり、大学では優秀な学生として人類学を学んでいたり、「知」の面でも興味深い姿をのぞかせている。ソレンティーノ監督は続ける。
「きっと彼女は美しいだろうが、私が彼女を選んだ理由はそれではない。それよりも、私はセレステのどこか痛々しいまなざしに魅了された。その一方で、相反するものだが、人生に対する好奇心も感じられた。セレステを抜擢した後は、パルテノペの役柄に、若者の典型的な痛みを、まなざしに与えていった」
ソレンティーノ監督は、パルテノペを演じているセレステ・ダッラ・ポルタに自らのルーツでもあるナポリという街を重ね合わせている。それは痛みも含めたこの街への複雑な想いを表現しているのだ。
かつてイタリアを愛したドイツの文豪ゲーテは「ナポリを見てから死ね」と語った。ソレンティーノ監督は、華麗な映像美でナポリという街を描くとともに、その裏には主人公に託したこの街に対する痛みも潜ませている。影があるから光は美しい。ゲーテの言葉にも誘われて、ナポリという街への旅情がいっそうかき立てられる。


