日本とヒップホップの手を繋ぐ
ヒップホップの魂をどうやって学ぶかを考えて、まずは街に住むしかないと思いました。ハーレムで部屋をシェアして住み始めました。冬のニューヨークはめちゃくちゃ寒いんです。ネズミの出る部屋で寝袋で寝て、夜は街が物々しい雰囲気になる。そこで生活するうちに自分の思っているヒップホップとリアルなヒップホップは違うぞ、と気づいたんです。
僕の思っていたヒップホップは金のネックレスを下げてダボダボのTシャツとパンツのファッションで、オシャレでアートなものでした。でもハーレムの外に出ると人々が屋外で小さなテレビを集まって見ているんです。車椅子の人も松葉杖の人もいる。アメリカは医療費が高いから貧しい人たちは十分な医療が受けられないんですね。でもそんな彼らがテレビというエンターテインメントを夢中になって見ている。僕が実際に見たヒップホップは、そこで生きている人たちの「生身の肉体」を持ってそこにあったんです。
これは日本人の自分がいくらやってもイミテーション(模倣)にしかなれない、と気づかされました。それでも現地の人と触れ合いながらダンスのスタジオで踊ると、みんなが「オーッ」と言ってもくれた。「そうか、これか」と思いました。自分は日本人だけど、あなたたちの文化をすごく知りたくて、あなたたちの文化に手を繋ぎたいと思っている。自分にしかないものをみせながら「リスペクトしています」という作品にすればいいのでは?と。
そして2カ月後の再挑戦の日。僕はまずハーレムの路上で一番流行っていた曲を流しながら、空手のような動きをしたり、自分のできる技を入れて踊り始めました。みんなが「お?」と思ってくれたのを感じた。次にアポロ・シアターが生んだ大スター、マイケル・ジャクソンのムーンウォークを取り入れて、「スーパーマリオ」の曲でロボットダンスを踊りました。終わったらみんながスタンディングで拍手をしてくれて、大会で優勝することができたんです。
ここから自分の持ち味である東洋の動きやパントマイムと西洋のヒップホップをあわせて「手を繋ぐ」というコンセプトのダンスがスタートしました。そのスタイルはいまも基本的に変わっていません。あのときオーディションで叱ってもらったこと、そしてチャンスをくれた人がいたこと――すべてが奇跡のような体験でした。


