ヒップホップの殿堂「アポロ・シアター」のコンテストで優勝し、テレビ大会で歴代最多9度の防衛で殿堂入りチャンピオンになり、マドンナのステージダンサーとしてワールドツアーに参加したダンサー・振付師のTAKAHIRO(上野隆博)。
日本ではアイドルグループ・欅坂46(現・櫻坂46)の「サイレントマジョリティー」「不協和音」をはじめ、AKB48やA.B.C-Zなどの印象的なダンスの振り付けを担当してきたトップランナーだ。その経歴は本人いわく「人生をもう一度やってもなかなか体験できない」というほどドラマチック。成功のヒントが多くつまったU30時代の話を聞いた。
目立たない凡人がダンスに目覚めた日
子ども時代は本当にコンプレックスの塊でした。勉強も運動も得意ではなく、サッカーでシュートを決めた記憶もない。クラスで目立つタイプでもなく、教室では真ん中の列の後ろから2番目のちょっと端、「このまま卒業しても先生やクラスメイト、誰の記憶にも残らないだろう」という席を選ぶような子でした。それが自分にも心地よかったんです。でも同時に目立ってみたい、何かに突出した瞬間を経験してみたい、という憧れもありました。
そんなとき、高校1年生だったかな、家族旅行でオーストラリアに行ったんです。そこでパントマイムをしている人を見て、衝撃を受けました。何もないところに壁が見えて、何もないはずのカバンが重たく見えた。何も物を持たずに人をワッと驚かせる突出した瞬間に出会ったんです。
さらに同じ時期にテレビで風見しんごさんの「涙のtake a chance」を見たんです。ムーンウォークをしたり、体を使ってウェーブをしたり、極めつけは背中を使ってぐるぐる回るウィンドミル。そこで全てがつながってビッグバンが起こったりました。「僕はこんな人に憧れていたんだ!」と。急いでビデオカセットの録画ボタンを押し、録画したテープを何百回も見直して、真似をするところから始めて、独学で踊るようになりました。
なぜそんなにダンスに惹かれたのか。考えてみるとまず、正解がないことが楽しかったんだと思います。ターンしてよろけても、どんなステップを踏んでも、自分がいいと思ったらそれでいい、何をやっても自分という観客が拍手をしてくれたらいい。それが楽しくて、誰かに見せようという気もまったくなかったんです。
そんな調子で大学に入ってひとりで踊っていたら、同級生が「いいね、一緒にやろうよ」と言ってくれてチームができた。2人で作るのが楽しくなって、それぞれが好きなNHKの「お母さんといっしょ」の曲とB'zの曲を組み合わせて踊ったりしました。「逆立ちで5歩歩けるようになりたい」「背中でぐるぐる回るウィンドミルをやりたい」――毎日、その思いで練習を続けました。
すると時間はかかっても、今日はできなかったことができるようになる。これまで先生に「お前には無理」と思われて、「クラスのこのへんだ」と自分の位置を決めていたけれど、「いや、自分はそれを自分で選んでいたんだ。やったらやった分だけ自分は伸びるのか!」と発見できた。「これが自我の目覚めか」と思いました。18歳か19歳くらいのときです。大学のダンス仲間もだんだん増えていきました。



