米アラスカで15日、トランプ大統領とロシアのプーチン大統領による首脳会談が行われたが、即時停戦の合意はなされなかった。トランプ氏は会談前に、ロシアとウクライナによる「領土の交換」にも言及していたが、ウクライナと欧州が「一方的な和平案だ」として反発。ゼレンスキー大統領は、メルツ独首相やスターマー英首相と直接会談した他、マクロン仏大統領など欧州首脳陣とのオンライン会議を通じて、欧州諸国のウクライナ支援を再確認した。
細田尚志チェコ国防大学インテリジェンス研究所准教授によれば、これは、欧州防衛という差し迫った危機感に加え、1938年9月のミュンヘン会談とその結果としてもたらされた歴史的な惨禍も念頭にあったという。ミュンヘン会談は、旧チェコスロバキアへの領土的野心をむき出しにしたドイツのヒトラーに対し、英仏がチェコスロバキアのズデーテン地方をドイツに割譲することで戦争を回避しようとした。ところが、チェコは会談から半年後の1939年3月にドイツに軍事併合され、同年9月にはドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まった。
細田氏は「ミュンヘン会談は、単に融和政策の失敗例だけではなく、当事国の主権蹂躙による国民の失望感が体制変化の呼び水になったという文脈で見る必要もあります」と指摘する。細田氏によれば、チェコスロバキア政府を代表するヴォイチェフ・マストニー駐独チェコスロバキア大使とフベルト・マサジーク外相首席補佐官は会談当時、「イギリス政府代表団付の連絡係」として参加を許された、会議会場になったミュンヘン市内の総統官邸とは別のホテルで待機させられ、会議終了後に、チェコスロバキア政府に決定事項を伝えるように命令されただけだった。さらに、この主権蹂躙の体験は「ミュンヘンの裏切り」と認識され、西欧民主主義に大いに失望させられたチェコスロバキア人が、スターリンに後押しされるクレメント・ゴットワルト共産党議長(後にチェコスロバキア共和国大統領)が主導する社会主義体制を熱狂的に受け入れる呼び水となったと指摘する。
細田氏は「これは、日本から遠く離れた国の話ではありません」と語る。力に基づく国際秩序を正とする認識や「大国間の妥協・安定のためには小国の主権が軽視・蹂躙されることも致し方ない」という前例が容認されることは「日本を含めた世界の大半の中小国にとって非常に懸念される状況につながる」という。細田氏によれば、ミュンヘン会談当時、英国がズデーテン地方の割譲に応じた背景には、「小国チェコスロバキアの置かれた状況は憂慮すべきだが、この小国のために英国兵士が血を流す必要はない」という自己中心的な主流世論があったという。チェコスロバキアと同盟関係にあったフランスも、「マジノ線を中心とする対独防衛線の構築を進めるなど守勢的な防衛戦略を優先し、ドイツの軍事行動を刺激しないためにチェコスロバキアに対して具体的な軍事支援の手を差し伸べませんでした」(同氏)。



