答えもないまま、ランゲの風景を思いながら、ふと別の「風景」を考えてみようと隅田川沿いを歩いてみました。きっかけは、今読んでいる『モダン都市東京—日本の一九二〇年代』(海野弘著、1983年)です。
海野弘は、世紀末芸術やアール・ヌーヴォーを横断的に読み解き、過去を現在として感じ取る独自の視点を持った美術評論家でした。本書のテーマは「1920年代の同時代性」。欧米の1920年代は自動車やファッション・化粧などの現代都市生活の表現が一般化した時期です。日本の1920年代も現代都市生活が成立した時期だったと言えるのか。そんな仮定を立てながら当時の日本文学や新聞・雑誌を読み解く海野は、「隅田川」というモチーフを見つけて、実際にその両岸を歩き始めます。
例えば、作家の埴谷雄高は1966年の『影絵の世界』で、1920年代末の隅田川の夜景を描き、当時の都市形成のひずみにあったアンダーグラウンドの精神性を記しています。埴谷を思いながら、ジョギングする人やベンチで寝そべる浮浪者などに混じって川を眺めた海野は「一瞬のうちに一九二〇年代にとびこんだような気分になった」と書きます。
1920年代は、隅田川の大橋が次々に建てられた時期でもありました。詩人・木下杢太郎は1930年の文章『隅田川の諸橋』で、ル・コルビュジエの本を片手に河蒸気でこれらの橋をめぐり、「技術的東京復興の傑作」と賛辞しつつも、その機能主義的なスタイルの美術性を批判します。一方で海野は、隅田川中流の白鬚橋に差し掛かると、木下が批判した無装飾の橋に「新鮮な美しさ」を見出します。
「今日見てもなかなかダイナミックな形姿を持つ白鬚橋は、できたばかりの一九三〇年ごろには、モダンとも珍奇ともいえる、新しい都市風景として、ずい分、衝撃的だったのではないだろうか。それは咆哮し、かっと口をあけて私たちを噛みくだこうとする鉄のドラゴンのようであり、巨大都市の象徴だったのではないだろうか」
作家たちを追うように、私もこの真夏の昼間に、隅田公園から白鬚橋まで歩きました。汗だくで歩く観光客や日陰で足を止めるご老人の間で川を眺めていると、近代の変化に戸惑い抵抗した「1920年代」、そしてそれを見つめた作家のまなざしを確かに感じた気がしました。私が見た白鬚橋は今、周りのビルや高架道路に調和して、懐かしさとも新しさとも言えない不思議な存在感を放っていました。


