インターネット黎明期からグローバルにデジタル化を見てきた、デジタルガレージ共同創業者の伊藤穰一。起業家にして研究者、ベンチャーキャピタリストにして千葉工業大学学長、元MITメディアラボ所長と様々な顔をもつ伊藤は、どんな若手時代を過ごしたのだろうか。
「世界を変える30歳未満」を選出するForbes JAPAN 30 UNDER 30のアドバイザリーボードを務めた伊藤に、U30時代の話を聞いた。
日本初のホームページ「富ヶ谷」を作る
大学の中退に始まり、母の死によって終わる━━いわば僕の20代は人生の転機が続く時期ですね。同時に「デジタル維新の志士」だとか、「マルチメディアの若き神」「日本一インターネットに詳しい人物」「渋谷系ベンチャーの旗手」といった呼ばれ方をしてメディアに出ることが多くなったのもこの頃。それにしても時代を感じさせるキャッチだよね。1986(昭和61)年から1995(平成7)年。これが僕がU-30、つまり20代だった時代です。
1995年というのは日本の「インターネット元年」なんていわれる画期的な年ですよね。Windows95が発売されて、パソコンが一気に普及した。僕はまさに30歳になるところで、前年に家族から借金をして「エコシス」というホームページ製作やサーバー開発を行う企業を起業したばかり。日本初のホームページ「富ヶ谷」というのを作ったのはちょうどこのときです。そこから「デジタルガレージ」を立ち上げてネット広告を扱い、検索サービスの「インフォシーク」設立にも参加しました。
その後、検索といえばヤフーだったわけですが、Yahoo! JAPANが設立されるのが96年のこと。孫正義さんとは、これよりずいぶん前から「インターネットの時代」がくるという話はしていたんです。僕はアメリカのヤフーと交渉しながらサイトを作って準備を進めていたんですが、あるとき孫さんが「俺がやることにした!」って、アメリカで大きな投資額を示してYahoo! JAPANの運営を決めて帰ってきた。先を越されたんです。お願いされて、弟の孫泰蔵さんと学生たちと一緒にベータ版のサイトを作って、それを孫さんに引き継いで……。
こういう話はもう一つあって、インターネット決済のアメリカ大手のサイバーキャッシュ。面白い企業だよね、という話をピザを食べながら孫さんとしていたら、「ソフトバンクが本当のバンクになれる」って大乗り気ですぐに投資して、合弁会社を設立しちゃった。学ぶべきはあの行動力、そして資金力だなと身をもって感じましたね。
孫さんとは、「ロケットササキ」で知られるシャープの佐々木正さんを通じた共通の知人ということで関係が始まりました。佐々木さんは世界で初めてポケット型電卓を開発し、スティーブ・ジョブズも尊敬したという日本を代表するエンジニア。孫さんは佐々木さんのことをまさに「師匠」としていますよね。僕のほうは、母が太陽電池を開発するECDという会社の日本法人代表を務めていたこともあって、佐々木さんと関係があった。それで縁があったんです。ちょっと苦い思い出も含まれるけれど、孫さんからは多くのことを学びましたし、彼のおかげで早くしてベンチャーキャピタリストになれたのかなって思ってます。



