なぜ人間は、美しさを求めるのか。そしてなぜ人間は、ジュエリーを身に着けるのかーー。その答えは、科学と芸術の狭間にこそあるのではないか。生物学者の福岡伸一がブシュロンのジュエリーに垣間見る、科学と芸術が織りなす新時代の美しさに迫る。
人類の発展に科学が大きく寄与してきたことは、紛れもない事実である。そんな科学のなかでも、自然科学の分野において功績を残してきたのが生物学者の福岡伸一だ。彼は中世の画家ヨハネス・フェルメールの研究やミュージシャンの故・坂本龍一との交流など、科学とは対極的と思われがちな芸術や音楽の分野にもコミットしてきたことで知られる。
そして奇しくもフランス屈指の老舗ジュエラーであるブシュロンも、3Dプリンターや宇宙工学など、先端テクノロジーを駆使し、科学と芸術が織りなす革新的ジュエリーを創造し続けている。果たして科学と芸術は、相対するものではないのだろうか。
分かち難い科学と芸術の存在意義
「いまから約300年前、オランダのデルフトという街に、独学でガラスレンズを研究するアマチュアの科学者アントーニ・ファン・レーウェンフックがいました。そして、同じ街にはフェルメールが住んでいました。あくまで私の想像ですが、2人の間に交流があり、フェルメールがレンズ付きの針穴写真機(カメラオブスクラ)を使って非常に正確な遠近法を表現できるようになっていたとしたら……。そうして、彼の代名詞である光のヴェールに包まれたような絵も生まれたのかもしれません。
17世紀まで遡ると、科学と芸術は非常に近い場所にあったと考えられるのです。それだけではなく、科学者のレーウェンフックと芸術家のフェルメールは、同じ場所で同じような思いを抱いていたのではないでしょうか。それは“世界のことを知りたい。世界の美しさを表現し、成り立ちを記述したい”ということです」
学問としても文化としても、現在では明確に分類されてしまった科学と芸術。だが、“世界を探求する”という存在意義は同じだったはずと、福岡はいう。そして、表現は違えども、現在も同じゴールに向かっているというのだ。
「“世界を知りたい”という原点は同じですが、科学は分析や解析によって、つまり言葉によって“世界の成り立ち”や“世界の美しさ”、“人間とは何か”を記述してきました。対して芸術は、言葉では書き切れない世界のことを表現するために、絵画や工芸、音楽といった非言語的な方法で世界を記述してきたのです。つまり、科学と芸術は補完的な関係にあり、ある意味同じところを目指しているとも言えるのです。
私は科学者にとって一番大切なことは、謙虚さだと思っています。科学は人間の素晴らしいツールですが、科学だけでは記述し切れないことが必ずある。あるいは科学で説明しすぎると、この世界の美しさや豊かさを取りこぼしてしまうことがある。ゆえに謙虚でいることが大事なのです。私が芸術や音楽など異なる分野の人々と交流するのは、別の世界の美しさや豊かさを補完し、記述してくれるからなのです」
そんな科学と芸術の補完関係を見事に具現化したと言えるのが、ブシュロンがハイジュエリー「カルト ブランシュ」よりラインナップする〈グット ドゥ シエル〉だ。フランス語で“空のかけら”を意味するその名が示す通り、同コレクションに使用されているのは、NASAが宇宙服や宇宙空間の塵を回収するために用いた超軽量素材「エアロゲル」。地球上で最も軽い固体であり、青みがかった半透明の姿は、まさに空のかけらを物体化したような、これまでにない存在感を放つ。それは最先端の科学が生んだ無二の芸術品とも言えるだろう。
「ブシュロンのように、新しいテクノロジーやイノベーションをジュエリーに採り入れるということは、“新しい詩”をつくることであり、新しい世界の見方をつくることに繋がると思います。空や海の青さは手に取ることができませんが、最先端のテクノロジーを駆使すれば、それを具現化することができる。そう示した〈グット ドゥ シエル〉は、大変革新的なハイジュエリーだと思いました。“自然界は無限のデザインリソース” というのが私の持論ですが、まさに空という自然から着想した素晴らしいデザインです」
動的な世界でジュエリーを身に着ける意味
ブシュロンの「カルトブランシュ」とは“白紙委任”という意味であり、クリエイティブディレクターのクレール・ショワンヌがゼロから思い描く「夢」が出発点となるコレクションである。

〈グット ドゥ シエル〉も「空のかけらを身につけたい」という、彼女の夢から生まれている。だからこそ、福岡のいう“新しい詩”として、身につける者や見る者の心を揺さぶる美しさを湛えているのである。
「この世界はあらゆるものが流転し続けており、私たち人間も非常に不安定な存在です。私たちのなかでは1日で何億個もの細胞が死に、生まれ変わっている。それでも“私”が“私”なのは、細胞と細胞、分子と分子が関係性を保ちながら置き換わっているからです。これを私は〈動的平衡〉と名付けましたが、この世界は変わらないように見えて、一瞬たりとも同じ状態はなく、常に流転しています。そんな不安定な世界に少しでも抗うために、人間は科学や芸術によって世界を記述しようとしてきました。そしてその記述をできるだけ永く、安定的にし、何らかのレファレンスをもたらしてくれるのが、ブシュロンのようなジュエリーなのです。
そんな流転する世界において、永遠性の象徴であるジュエリーを身につけることは、ときとして有効だと思います。宝飾品は不要不急の贅沢品と思われがちですが、不安定な生命だからこそ必要なものともいえるのです」
動的な世界に生きる動的な存在からこそ、永遠の輝きを湛える静的なジュエリーを求める。ブシュロンのジュエリーが人々の心をとらえて離さないのは、人間の儚さに訴えかける普遍的な美しさを湛えているからに違いない。
ブシュロン ジャパン
https://www.boucheron.com
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ふくおか・しんいち◎1959年東京生まれ。京都大学農学部の博士後期課程を修了後に渡米し、ロックフェラー大学の分子細胞生物研究室に所属。その後ハーバード大学医学部の博士研究員を経て、京都大学食糧科学研究所講師に就任。のちに同大学の助教授となり、2004年には青山大学院大学理工学部化学・生命科学科の教授に就任。現在開催中の2025大阪・関西万博ではテーマ事業プロデューサーを務め、シグネチャーパビリオン「いのち動的平衡館」をプロデュースしている。



