マサチューセッツ工科大学(MIT)で生物工学を学ぶ大学院生だったジェイク・ベクラフトはある日、がん治療の方法を変えるかもしれないアイデアを思いついた。それは、遺伝子を電灯のスイッチのようにオン・オフすれば何が起こるかというものだった。さらに考えを進めた彼は、がん腫瘍が体の免疫系に自らの存在を明らかにするようプログラムできる遺伝子の「回路」を構想した。
mRNAを利用したがん腫瘍の「可視化」技術
この回路は、タンパク質を作るための指令を細胞に運ぶメッセンジャーRNA(mRNA)を利用するものだ。そして、そのmRNAをあらかじめ設計・改変して細胞に送り込むことで、腫瘍が免疫系に発見されるよう誘導するという仕組みだ。
これは、最先端の科学を用いたアイデアであり、ベクラフトがマサチューセッツ州ケンブリッジを拠点とするStrand Therapeutics(ストランド・セラピューティクス)を共同創業した当時に、果たして実現可能かどうかは分からなかった。しかし、それから8年が経った今、同社はその実現に近づいている。
第1相臨床試験の予備結果によって、Strand Therapeutics初のプログラム可能なmRNA医薬品が、安全なだけでなく、他の治療法が効かなくなったがん患者の腫瘍を縮小させる効果を持つことが示された。
「この結果は、私たちにとっても衝撃的だった」とベクラフトはフォーブスに語った。「ある程度の効果は期待していたが、ここまで大きな反応は想定していなかった。なぜなら、これら患者のがんは、すでに治療に非常に強い耐性を持つことが証明されていたからだ」。
約225億円の資金調達と投資家の顔ぶれ
Strand Therapeuticsは、この結果を受けてスウェーデンの投資大手Kinnevikの主導で1億5300万ドル(約225億円。1ドル=147円換算)を調達し、プログラム可能なmRNA治療薬のパイプラインを拡充しようとしている。同社のこの調達には、ベンチャーキャピタル(VC)のIconiq、Playground Global、リジェネロン・ファーマシューティカルズの投資部門Regeneron Ventures、製薬大手のアムジェン、イーライリリーも参加した。
今回の調達でStrand Therapeuticsの累計調達額は2億5000万ドル(約368億円)に達し、評価額は推定5億5000万ドル(約808億円)に上昇した。この額は、今日の著名な人工知能(AI)関連のスタートアップと並ぶほど巨額なものではないが、臨床段階のバイオテクノロジー企業としてはかなりの規模だ。VC投資のデータベースPitchBookによれば、Strand Therapeuticsの評価額は、2024年11月の資金調達時には3億5900万ドル(約528億円)だった。
さらにこの調達は、バイオテクノロジー分野の企業が資金調達に苦しみ、上場市場には手元資金を下回る価格で取引される「ゾンビ・バイオテク」があふれる中で行われた。Strand Therapeuticsは、2030年までに最初の治療薬の市場への投入を目指しているが、現時点ではまだ収益を上げていない。
政治的逆風
多くの人々は、mRNAについて、新型コロナウイルスのパンデミックの際にモデルナやビオンテックが開発したワクチンのバックボーンとなるものとして認識している。しかしその成功にかかわらず、米国ではこれらワクチンは政治的論争の火種となっている。折しも8月5日、ワクチン懐疑論者のロバート・F・ケネディ・ジュニア保健福祉長官は、mRNAワクチン関連プロジェクトへの連邦資金5億ドル(約735億円)を打ち切ると発表した。



