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2025.08.20 10:00

トランプ関税も追い風に、欧州で不動産帝国CTPを築いたビリオネアの素顔

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ヴォスに成長スピードを緩める気配はない。昨年、CTPは借入および債券発行により26億ドル(約3840億円)、さらに新規株式発行で3億3000万ドル(約488億円)を調達し、ルーマニアとドイツで工業団地と土地を取得した。同社は、2023年に7億7000万ドル(約1140億円)だった賃貸収入を、2027年までに11億ドル(約1630億円)へと拡大することを目標に掲げている。また、現在9カ国で総面積1900万平方フィート(約177万平方メートル)に及ぶプロジェクトが建設中だ。

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「この地域には、依然として大きなビジネスチャンスがある。手元に十分なキャッシュがあれば、即座にディールを成立させることができる」とヴォスは言う。

高校卒業後、大学には進学しなかったヴォスは、鉄のカーテン崩壊直後に20代前半でオランダを離れ、チェコ共和国で乳製品の販売を手がけた。

彼は、オランダ北東部の小さな町スタッズカナールで、学生だった母と自動車販売業を営む父のもとに生まれた。6歳のときに両親が離婚し、その後は周辺の町を転々とする幼少期を過ごしたという。彼は12歳で働き始め、週末には自動車の洗車や美容室の清掃に精を出した。「ビールとタバコを買えるようになりたかった」と、彼は淡々と語った。

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1988年、ヴォスが高校3年生だったとき、学校が旧チェコスロバキアへの修学旅行を企画した。彼は参加を申し込み、バス代も支払ったが、出発1週間前に行われた説明会を欠席した。「学校にはほとんど顔を出していなかった。友人から説明会の内容と出発時間を聞き、1988年10月の日曜の夜にバス停に行ったが、バスは出発した後だった」と彼は述べた。

修学旅行でチェコスロバキアを訪れる機会を逃したことが、ヴォスに同国への関心を根付かせるきっかけとなった。高校卒業後、彼は父親と共に自動車電話の販売に携わった。1990年、彼は父の友人であるヨハン・ブラケマと出会う。ブラケマはチェコスロバキア出身の妻の死後、同国にある彼女の実家を訪ねて食料品や衣類、家電製品を届けていた。ヴォスは同行を志願し、1991年に初めてチェコスロバキアの地を初めて踏むこととなった。

「チェコスロバキア各地を見て回ったが、舗装された道路はほとんどなかったことが強く印象に残っている。訪れたのは秋で霧が立ち込め、街は暗く灰色に染まっていた。だが、何もないからこそ、ここには大きなビジネスチャンスが眠っていると直感した」と、ヴォスは当時を振り返る。

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編集=朝香実

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