米国の作家ジェイムズ・サーバーの有名な短編小説『The Secret Life of Walter Mitty(邦訳「虹をつかむ男」など)』は、本欄でここ数週間取り上げてきたテーマに関連して、読者にぜひ一読を勧めたいもうひとつの作品である。とりわけ、米国と欧州連合(EU)の貿易合意という文脈でうってつけだ。
この作品が発表されたのは1930年代末のことだ。1930年代は、ハーバート・フーバー米大統領の関税政策によって方向づけられ、深刻な経済的・地政学的緊張を特徴とする時代だった。主人公のウォルター・ミティは、平凡で小言を言われることの多い現実生活のふとした出来事をきっかけに、空想を思い浮かべる。これは、より良い時代を夢見たい気に駆られる欧州の指導者たちに響くものがあるだろう。同様に、ミティの目眩のするような空想は、数千億ドル規模の投資やエネルギーの購入という、ドナルド・トランプ米大統領がEUから引き出した約束に通じるものがある。
米・EU間の貿易交渉の合意は、7月末の妥結からしばらくたったあとも反応がまちまちであり、「勝者」が誰なのかもいまいちはっきりしない。それは、この合意が伝統的な意味での「貿易協定」ではないからかもしれない。少なくとも、EUがこれまで結んできたような骨の折れる貿易協定とは毛色が違う。ひとつには今回の「合意」のかなりの部分は約束に基づくものだからであり、また、合意の「見かけ」が欧州にとって非常に気の滅入るものだという点でも異例だ。
ニュースの見出しレベルで言えば、EUから米国への輸出品には15%の関税がかけられることになり、それは最終的に米国の消費者が負担する。この点では日本との「合意」と似ている。15%という関税率であれば、欧州の自動車メーカーはまずまず満足しているだろう。ただし、ワインや蒸留酒、鉄鋼、そしてとくに医薬品に関しては、最終的な関税率が確定していない。医薬品の関税率がひとまず15%で決まったのは多少の安心材料ではあるものの、医薬品の対米輸出に関する調査にはテールリスク(確率は低いが発生すれば影響の大きいリスク)がある。興味深いことに、EUはデジタル規制を骨抜きにしようとする試みに抵抗した。



