前編では、産学連携がアカデミアの知とビジネスのリアルなデータを融合させる大きな可能性を秘めていることが語られた。今後、その連携から生まれたテクノロジーはビジネスの現場をどのように変え、企業価値をいかに向上させていくのか。後編では、研究組織「ASUENE AI LAB」の挑戦と、その先に見据えるデータの倫理、そして産業界全体の未来像までを深掘りしていく。
渡瀬丈弘(以下、渡瀬):前編で話した産学連携の具体的な成果として、2024年2月に設立した研究組織が「ASUENE AI LAB」です。田中先生にも顧問としてご参画いただいています。このラボでは設立からわずか1カ月で、AIツールの全社導入からルール整備、ヘルプデスクの立ち上げまでを迅速に進め、月間で9,300時間もの業務時間削減を達成しました。
そしてこの7月には、当社のプロダクト内に脱炭素・ESG経営を支援するサステナビリティAIエージェント「NIKOLA」を搭載しました。このAIエージェントは、単に情報を検索するだけでなく、「市場調査」「戦略支援」「規制の解釈・伴走」「開示内容の回答・改善」「報告・自動化」という5つの主要機能を担っています。
例えば、お客様が「どう回答すればよいかわからない」と悩む複雑な規制に対し、AIが最新情報を解釈し、他社の事例を参考に「あなたの企業ならこれが模範解答ではないか」とアシストします。
小原大智(以下、小原):このなかでE4Gの技術が特に価値を発揮しているのが、公開されている大量の情報を収集し、統計分析が可能な状態にデータを整形・構造化する部分です。AIエージェントが「あなたの会社はマーケット内でどのポジションにいるか」といった深い洞察を提供できるのは、E4Gが構築した国内外の公開情報データベースを活用しているからです。この公開データを構造化してベンチマーク比較が可能なシステム設計に、E4Gの技術が大きく貢献しています。
渡瀬:まさにE4Gの技術によって、私たちのAIはただの効率化ツールではなく、企業の意思決定を支援する“優秀なアシスタント”として機能しているのです。また、入力されたデータに異常値がないか、内容に矛盾が発生していないかといった監査の観点でもAIを活用しており、非構造化された多様なデータをフル活用しています。
非財務データを扱う際の課題とは
田中謙司(以下、田中):「AI×非財務データ」の優れたプロダクトをすでにビジネスに活用しているとのことですが、AIで非財務データを扱ううえでは難しさや倫理的な課題も存在します。非財務データは開示されているものが基本なのでプライバシー面での懸念は少ないですが、データの中身は玉石混交と言えます。すぐに分析に活用できるものもあれば、整理が必要なもの、それ単体では分析が難しいものなど、今後もさまざまな種類や形式のデータが出てくるでしょう。そのなかには経営に効果的なもの、関連が薄いものも混ざってしまっています。そのため、どのデータが重要なのかを特定し、整理していく必要があります。
小原:現場では、さまざまなフォーマットで公開されている膨大なデータを収集する、といったハードルがあります。企業による表記の揺れや、CO2排出量ひとつとっても集計期間の定義が少しずつ違うといった前提のズレも、AI技術も活用しながら乗り越えていかなければなりません。
また、倫理的な観点で言えば、私たちの分析によって全企業が画一的な非財務情報の開示となってしまうことは避ける必要があります。本来、ESG開示で求められているのは、各社が自ら考え、その情報を経営判断につなげることです。私たちはそれを支援する立場なので、各社の戦略の独自性を重視・尊重しつつ、お客様の意思決定が真に企業価値向上につながるようサポートしていくことが重要だと考えています。
渡瀬:分析とは、突き詰めれば「分ける」「集める」「比較する」の3つです。ビジネスの現場で重要視されるのは、他社と比較した結果、次の打ち手が打てるかどうかです。分析のための分析に留まってしまっては、何の意味もありません。AIによる非財務データの分析は、企業の弱みを補完し、強みを伸ばすための時間を創出することにつながります。私たちは、導入社数No.1だからこそ得られる大量のデータと、いち早くAIソリューションを提供してきた先進性を掛け合わせ、常に新しい価値を提供していきたいと考えています。
一段上のサステナビリティ経営を目指して
小原:これまでESGや環境といった非財務的な論点はどうしても綺麗ごとと捉えられがちでした。しかし、今はまさにそれこそが事業成長や企業価値向上につながるという流れが来ていると、肌で感じています。その価値を証明するためには、データを活用して「非財務の頑張りが、財務にこうつながりますよ」という関係性の明示やモデル構築が不可欠です。
現場では、担当者のほうが多大な努力をしてもなかなか評価されなかったり、株価に反映されなかったりするといった声も聞きます。今回のAI×非財務データの分析を通じて、頑張っている企業や担当者の方々の取り組みが正当に評価されるような世界をつくっていきたいと、強く思っています。
渡瀬:私たちはAIと非財務データの活用を通じて、日本の全産業が一段上のサステナビリティ経営を実現し、その社会的インパクトが世界最先端になるような未来を目指しています。私たちが提供するソリューションやAIによる支援は、生産性を劇的に向上させてくれるはずです。そこで生まれた時間を各企業がそれぞれの強みを伸ばすための戦略的な活動に充てていただき、その結果として、日本の産業全体の競争力が高まっていく。アスエネは、利用企業の皆様の脱炭素・ESG経営の実現を支援し、次世代のため、そして人・企業・地球にとって、より良い未来を創っていきます。
田中:おふたりがお話しされた通り、財務以外の部分も見ることは、投資家や顧客、そして従業員までも、その会社が今現在どのような状態にあるのかを多角的に理解することを可能にします。これによって、これまで“守り”と捉えられがちだった環境対策やESGを、むしろ事業収益力を高める“攻め”の戦略として活用できる可能性が生まれるはずです。
学術的にも、これまで数値化されてこなかった、あるいは価値として見なされてこなかった周辺データや定性的なデータと企業価値との隠された関係性を解き明かしていくような、チャレンジングな研究に踏み出すことができます。研究を通じてそうした関係性を探求し、非財務や非定型データがキードライバーとして機能しているとわかれば、計測のための新たな指標を発明し、モデルに組み込んでいくことも可能になるかもしれません。AIという強力なツールを得て、その探求はいよいよ現実のものとなろうとしています。「AI×非財務データ」というテーマを産学連携を通じて大きな潮流へと育てることで、社会全体が良い方向へ変わっていく一助となることを願います。
たなか・けんじ◎東京大学大学院 工学系研究科 技術経営戦略学専攻 教授、レジリエンス工学研究センター兼務。専門はシステム工学、エネルギー・環境経済学。民間企業でコンサルティング業務などに従事した後、2007年より東京大学に着任。気候変動や社会システムの最適化をテーマに、AIなどの数理分析ツールを駆使した研究に従事し、研究室ではスタートアップ創出も支援している。
わたせ・たけひろ◎アスエネ 上級執行役員 CPO。リクルートで受付SaaS事業「Airウェイト」などの事業責任者を歴任後、2021年にアスエネに参画。CPOとして、CO2排出量可視化AIクラウド「アスエネ」やESG評価サービス「アスエネESG」など、主力となる全プロダクトの企画・立ち上げから開発・推進を統括している。
おばら・たいち◎アスエネ新規事業開発部 マネージャー、E4G 取締役。東京大学大学院工学系研究科在学中、田中研究室にてAIや非財務情報を研究。大学院1年時の2022年にE4Gを創業し、24年10月にアスエネによるM&Aでグループへ参画。現在は非財務データの収集・分析サービスの責任者を務める。



