外交官志望からウォール街へ
ウォール街での栄光は、カルディナーレにとって最初から約束されていたわけではなかった。かつて外交官を夢見た1967年生まれの彼は、フィラデルフィア郊外の緑豊かなメインライン地区で、民事訴訟弁護士の父のもとに育った。ハーバード大学で社会学を専攻し、重量級ボート部に所属したカルディナーレは、卒業後はローズ奨学生としてオックスフォード大学で政治学と政治理論を学んだ。
その後、東京のシンクタンクに勤務し、グローバル化の影響を間近で目にした。当時はまだ、ロースクールに進むか、政治理論で博士号を取るかを考えていたという。「最初からウォール街に行こうと決めていたウォートンの学生みたいなタイプではなかった」とカルディナーレはポッドキャスト番組The Dealで振り返っていた。
ゴールドマン・サックスで躍進、名を馳せたバンカー
しかしその後、東京で投資銀行家たちと会ったことで、金融の道がやりがいのある(そして間違いなく儲かる)キャリアになると確信した。1992年にゴールドマン・サックスにアナリストとして入社した彼は、同年に学術誌『Asian Survey』に、日本の反米感情と高まる通商摩擦についての記事を発表していた(彼の日本への強い関心は、スカイダンスの最大の投資家であるラリー・エリソンとも共通している。エリソンは日本美術のコレクションを持ち、カリフォルニア州ウッドサイドの自宅を、16世紀の日本において天皇が用いた離宮を模した建築にしている)。
カルディナーレはその後、ゴールドマンの香港やシンガポールのオフィスでの勤務を経て、1997年にニューヨーク本社に移り、通信・メディア・テクノロジー部門の投資銀行業務に従事した。その後、自己勘定投資部門に移り、2001年にはニューヨーク・ヤンキースのオーナー、ジョージ・スタインブレナーを説得し、地域スポーツネットワーク「YESネットワーク」を立ち上げさせた。このプロジェクトは、同年9月11日の世界同時多発テロの前日に最終合意に至ったが、別の投資家が撤退したため、ゴールドマンは3億3500万ドル(約492億4500万円)のプライベートエクイティ投資でこの取引を支えた。
リスクはあったものの、この案件は大成功を収め、2004年にカルディナーレはゴールドマンのパートナーに昇進した。その数年後の2008年に彼は、ダラス・カウボーイズのビリオネアオーナーのジェリー・ジョーンズをスタインブレナーと組ませ、スポーツスタジアム向けの飲食事業「レジェンズ・ホスピタリティ」を設立させた。この事業は2021年、投資会社シックス・ストリート・パートナーズが過半数株を取得している。
カルディナーレは2013年にゴールドマンを退職し、同じくゴールドマン出身のバイロン・トロットが設立した商業銀行BDTに短期間勤務した。なお、BDTは後にビリオネアのマイケル・デルの投資会社と合併し、BDT & MSDとなる。同社はパラマウントを退任予定のシャリ・レッドストーンにも助言を行っている。


