専門の決定を後ろ倒しに
高等教育制度に魔法をかけられるとしたら、私は本当の教育が行われるまで何を専門とするか、決定を遅らせるようにするだろう。金融や会計、エンジニアリング、ITなどの学位を取得した人が大卒者の中で最も給料のいい仕事に就くと主張する人々に対しては、短期的にはその通りだと言おう。だが、長期的な視点も持ってほしい。
キャリアコーチの立場から言わせてもらえば、社会人になって何年も経てばこのようなことは平準化される傾向にある。リーダーシップにはとりわけ、視野の広さや器用さ、多面性、社会的責任感、そして地球市民としての自覚が求められる。あなたが興味を持つ分野が化学工学ならそれを学べばいいが、その一方で文学や歴史、論理学、倫理学、世界情勢、執筆、心理学、社会学、そして間違いなく外国語も履修しておくことだ。
キャリアにおいていいスタートを切ることと、成長し続けることはまったく別のことだ。前述のパーティーの参加者1人を例にとっても、この点は証明される。
アインシュタインの教え
この点をさらに深掘りしよう。偶然にも、私はアルベルト・アインシュタインの本を読んでいる。アインシュタインが亡くなる前年に出版されたこの本は彼の多くの論文や手紙、講義の内容を集めたものだ。1952年に米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された「自立的な思考のための教育」と題するエッセイの中でアインシュタインはこう書いている。
「専門的なことを教えるだけでは十分ではない。専門分野を学習するだけでは一種の便利な機械にはなっても、調和のとれた人間にはならない。学生が価値を理解し、実感することが不可欠だ。美しいものや道徳的に善いものに対する生き生きとした感覚を身につけなければならない。そうでなければ、専門知識を身につけた人は調和のとれた人間というよりは、よく訓練された犬に似ている。仲間や地域社会と適切な関係を構築するために人間の動機や思い違い、苦しみを理解することを学ばなければならない」。
「こうした貴重なことは、教科書を通じてではなく、少なくとも教科書主体となるのではなく、教える人との個人的な接触を通じて若い世代に伝えられる。文化が築かれ、保存されるのはこれによる。歴史や哲学といった分野の無味乾燥な専門知識だけでなく、人文科学を学ぶべき重要なものとして推奨するとき、私が念頭に置いているのはこのことだ」。
「競争システムを過度に重視し、目先の有用性を理由にあまりに早く専門性を持つと、専門知識も含め、文化的生活の基礎となる精神が失われる」。
自立した批判的思考を
「若い人に自立した批判的思考を身につけさせることも価値ある教育には欠かせない。こうした過程は、過度に負担をかけ、あまりに多様なテーマ(点数制度)を与えると大きく損なわれる」。
この点に関して私は譲ってこなかったが、私の主張が十分でなかったとしても、アインシュタインのエッセイは強く訴えている。
便利な機械か、よく訓練された犬か。あるいは、調和のとれた人間か。どれになるかはあなた次第だ。


