歴史家たちは、今後何年もたってアルベルト・アインシュタインを物理学者、そして哲学者としてみるだろう。その例を1つ挙げよう。
筆者の友人たちは40年近く前から毎年素敵な大晦日パーティーを開いており、昔からの顔見知りが大勢集う。皆70代、80代になり、そのようなパーティーは古いものだが、いつも学びがある。
幅広い教養の修得
私が22年間書き続けてきたテーマの中で、このようなパーティーで最も話題に上ったのは、大学生に(親のスネをかじりながら)化学や金融、コミュニケーションなど実社会で役立つ狭義の職業訓練を4年間で詰め込むだけでなく、幅広い教育を受けるよう勧める私の連載記事だった。興味をそそられるだろうか。
面白いわけはこうだ。パーティーの参加者は皆、子どもを学校に通わせた経験があるため、この点についてそれなりの考えを持っている。それだけでなく、60人ほどの参加者を見渡したとき、そこにいたのはかなりの成功を収めた人々だった。経営者や起業家、出版歴のある小説家、裁判官、医師、その他の医療関係者、クリエイティブな広告会社の役員、元市長、その他の選挙で選ばれた人たち、映画祭のエグゼクティブディレクター、IT関係者、教授、学校の先生などだ。
私が驚いたのは、パーティー参加者全員に共通点があったことだ。男女を問わず、皆、特定の分野での成功を支えるものとして素晴らしい一般教養教育の恩恵を享受していた。教育を受けてから数十年たち、皆、興味深く輝かしいキャリアを歩んでおり、教養を十分持っていることの価値はあちこちで証明されていた。
私はキャリアコーチとして、また教師として、幅広い教育を無視して限定的な訓練に偏重しすぎること、大学1年生の時に専攻を決めるよう圧力をかけられる学生が増えていること、残りの人生をどう生きるかを決めるよう要求され、その後は見て見ぬふりをするをする10代の若者たちがいること、人格を養う機会が失われていることを強く批判してきた。批判的な見方は強まるばかりだ。



