私が高校生のときのことです。進学を考えていた私は、ケンブリッジ大学を受験することにしました。
当時、高校ではとても優秀な先生に教わっていましたが、その先生から巷ちまたで話題になっている経済関連の本を手渡されたのです。
「この本を読んでおくように。そして必ず、面接で中身について触れなさい。そうすれば、本当に経済学を勉強したい、ニュースや社会に興味があるから受験した、という君の熱い思いが伝わるだろう」というアドバイスをもらいました。
そこで私は早速その本に目を通し、おおよその内容をつかみました。ちょっとしたスピーチを用意してから、面接会場へ向かったわけです。面接官は二人の教授でした。片方はひたすら質問をし、もう片方私は黙々とメモを取っていました。
面接の時間は約1時間だと分かっていました。いろいろな話題で盛り上がり、ふと腕時計に目をやると、残り時間が5分しかないことに気付いたのです。まだ、“例の本”についてひと言も触れていません。そこで、何かまったく別のことついて聞かれていたにもかかわらず、私は唐突に言ったのです。
「ああ、それで思い出したのですが、最近、とても面白い本を読みました」
当然、質問とはまったく関係がありませんでした。すると、それまで聞き役に回っていた教授が、書く手を止めたのです。
「ほう? ぜひ、その話を聞かせてほしいものだね」
私は、「待っていました!」と言わんばかりに嬉々として熱弁を振るいました。
ひとしきり話し終えると、それまでは聞いているだけだったその教授が静かに立ち上がり、書棚へ向かいました。おもむろに本を一冊取り出し、それを手に戻ってくると、一つだけ質問をしたのです。それは、私がそれまで得意げに語っていたことを根底から覆してしまうような致命的な質問でした。
私は苦し紛れに反論を試みようとしましたが、結局、できませんでした。教授は私に論文を手渡しました。それはちょうど出版されたばかりの紀要に収録された彼自身による本への批評論文でした。
「モハメド君、読んだものすべてを信じてはいけない。出版されたからといって、必ずしもそれが正しいとは限らないのだよ」
すっかり打ちひしがれた状態で、私は会場を後にしました。ケンブリッジ大学に入るのが夢でした。それがまさか、出版された書籍に書かれたことにそのよう
な誤りがあるなんて…。それも墓穴を掘ってのミスだっただけに、完全に打ちのめされました。
「本に書かれていることは正しい」と信じる17歳にとっては、重い教訓となりました。何事も鵜呑みせず、あらゆることに対して疑問を持つことが大切なのだ、と。
その後、私は投資家になりました。そして振り返ってみると、重要な投資案件について決断を下すということは、常に「疑問を抱く」ことの積み重ねでした。周りがリスクを取っているからといって、自分も考えなしにリスクを負ったりしてはいけないのです。
もちろん、あのときの失敗が生きたことは言うまでもありません。