刀削麺についても、彼には次のように強いこだわりがある。
「多くの店が工場でつくられた麺を仕入れていますが、それらには必ず添加物が含まれます。私はそれが嫌で、粉から生地をこね、寝かせるところから全て店内で行っています。添加物を一切使わず、手づくりにこだわることで、本物の味と食感を実現しています」
よだれ鶏(中国名「口水鶏」)を日本で初めて提供したのも陳家私菜だった。
その経緯について聞くと、「1990年代の日本では四川料理の前菜といえば棒々鶏が主流でした。しかし、私が四川でよだれ鶏を食べて、なぜこんなにおいしいものが日本にないのかと感じました。この感動を伝えたいと思い、メニューとして提供を始めたのです」と陳さんは言う。
開店当初、陳さんは相当苦労したようだ。しかし、どのようにして危機を乗り越えたのかと最後に訊くと、彼は次のように話した。
「1995年に赤坂で店を開いた当初は、本場の辛さが受け入れてもらえず、お客さまが全く来ませんでした。家賃の支払いも困難で、何度も店を畳もうかと思いました。
状況を打開するため、深夜まで営業し、近隣のスナック帰りの方々をターゲットにすることで、少しずつ売上を立てました。妻と二人三脚で店に寝泊まりしながら働き続けたところ、その後、みのもんたさんや矢沢永吉さんといった著名人が来店してくださったことをきっかけに口コミが広がり、いまに至っています」
中国の新華僑の第一世代
筆者は陳さんと同世代であることや、彼が来日する前の1980年代の上海を訪ねていたこと、また当時来日したばかりの新華僑たちの境遇を知っていたことから、すぐに打ち解けることができた。こうした話を共有できる日本人は少なかったからだろう。
陳さんはいわば中国の新華僑の第一世代であり、苦労多き人生を歩んできたわけだが、彼にとって、その時期に来日を選んだことが今回の30周年記念の起点となったことは間違いなく、それが「日本への恩返し」と語る正直な思いとなっているのだろう。
だが、彼と話をしていると、それだけでなく、自らのバックグランドである中国の食文化の価値を多くの日本人に理解してもらいたいという強い思いもあることがわかる。彼はこんなことを言う。
「開業当時、多くの日本の人たちにとって、中国の料理といえば安くて量が多く満腹にさせるというものという認識だったと思う。私はこうした日本社会に根づいていた中国の食文化に対する誤解を解きたいと考えました。そのために材料を厳選し、本物の『医食同源』を伝え、『屋台料理』と呼ばせないようにすることを当店の理念としたのです」
ここでいう「屋台料理」とは、中国籍の人たちより10年ほど早く来日していた台湾の人たちが1980年代の東京で始めた家庭的な屋台料理の店のことだろう。
日本人にとっては親しみを感じる初期のガチ中華といっていいと思うが、陳さんからすれば、中国にはもっと本格的で奥深い食の世界があることを知ってほしいという思いからの発言だったと思う。
また「安くて量が多く満腹にさせる」というのは、陳さんと同時期の1990年代に現れた彼と同世代の中国の人たちによる、日本人の口に合わせた安価な定食メニューを指しているのだろう。


