たいていの人は、よい仕事をすればおのずと評価はついてくると考えている。だが、そうではない──そして、アンフェアだ。
ほぼどんな職場にも、昇進や大規模プロジェクト、リーダー的役職の候補から外されている人がいる。時間に遅れず、自分の務めを果たし、成果を出していながら、どういうわけかキャリアが行きづまっている人だ。それは、その人が能力を欠いているからではない。原因は、目立たない存在になっていることにある。
本来そうあるべきではないが、現実には目立つことは、「よい仕事をすること」に劣らない大きな意味をもっているのだ。
がんばって働くだけでは気づいてもらえない理由
以前、ある中堅レベルのマーケティング・アナリストが明かしてくれた話によれば、彼女は自社に5年勤めたあともまだ、リーダーシップをとる機会を与えられていなかったという。業績評価はべた褒めだった。担当プロジェクトもかなりのインパクトを生んでいた。にもかかわらず、必ずしも彼女より優れているわけではないが、自分の貢献についてもっと声高に語る人たちに、たびたび追い越されていた。その状況はいらだたしく──そしてアンフェアのように感じられた。自己宣伝よりも、成果の方がものをいうべきではないのだろうか?
理想的な世界なら、そのとおりだ。だが現実には「目立つこと」は、キャリアを進めることにおいて決定的な役割を果たす。
そうなる原因は、たいていの上司には、全員の日々の業務を追跡する時間がないことにある。自分の努力を目立たせなければ、偶然気づいてもらうのを期待するしかない。だが、期待どおりにはならない。そして、必ずしも自己宣伝をする必要はないが、前進するのは、自分の影響力が確実に意思決定者の目にとまるようにした人だ。声を上げることは、尊大さとは関係ない。自分の価値を、見過ごされないようにするための手段なのだ。
自己宣伝感を出さずに目立つ方法
自慢しているとは見られたくない、という理由で、声を上げることをためらう人は多い。そうした人は、自分のした仕事がおのずと語ってくれるはずだと信じている。
フェアな世界なら、そうなるだろう。だが、競争の激しい職場では、「目立つこと」が業績に劣らず重要になる。現実には、自分で自分を後押ししなければ、見過ごされるリスクを冒すことになる。重要なのは、無理やりの自己宣伝ではなく、戦略的だが自然なかたちで自分の貢献を表現することだ。
例えば、「私はXをしました」と言うのではなく、「Xをしたことで、我々のチームはYを達成できました」と言い換えてみるといいい。このように、重点を個人の業績から全体への影響に移せば、単に認めてもらいたがっている人ではなく、価値を付加する人として見てもらえるようになる。
また別の方法として、結果だけでなく、進歩の状況を強調するという方法もある。1つのプロジェクトが完了するまで待つかわりに、自分がしている仕事を強調するような最新情報を、定期的に提供してみよう。
例えば、こんなふうに言うといい。「我々はXに関して大きく前進しました。今週はYという大きな課題を解決しました。これで、最終的な製品がずっと強力なものになるでしょう」。こうすることで、自画自賛しているような印象を与えずに、自分を常に意識してもらえるようになる。



