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2025.07.25 15:22

「新プロジェクトX」の冤罪事件を元記者の精神科医が解く。美香さんはなぜ刑事に恋したか? 

NHK新プロジェクトX「無罪へ 声なき声を聞け」は2025年7月5日に放送され大きな反響を呼んだ

おもわず口走った「(人工呼吸器の)アラームは鳴ってました」

「中学1年の時な、近所のおばちゃんがお兄ちゃんの成績をほめてん。美香ちゃんはちょっと違うから、DNA鑑定でもしてもろたらと言わはるんよ」。

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令子さんに確認すると、覚えていないが「もし、そう言わはったんなら、その人は冗談のつもりだったんちゃうかな」と答えた。その通りだったのだろう。だが、美香さんの心には、喉に刺さった魚の骨のように、30数年後の今も消えずに残っている。

業務上過失致死容疑で始まった警察の初動捜査から1年経っても、事件は膠着状態だった。それもそのはず、70代の男性は入院時すでに心肺停止状態で、いったん蘇生したが、半年後に呼吸停止した時点で大脳が溶けかけていた事実が司法解剖で判明している。

ところが取調べ担当が山本誠刑事に変わると事態は一変した。美香さんの証言で再現する。

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亡くなった男性の写真が10数枚、トランプカードのように机上に並んでいる。山本刑事が美香さんの後ろ髪をつかみ、男性の写真に近づけるように顔を押し付けて、怒鳴った。「申し訳ないと思わんのか!」。机の脚をけられて脅された。

神経発達症の人には感覚過敏がある。大声で怒鳴り、髪をつかんで頭を揺さぶるのは暴行以外の何物でもない。おもわず「(人工呼吸器の)アラームは鳴ってました」と美香さんが言った途端に刑事の態度が変わり、優しくなった。

山本刑事は話を聞くようになった。愛着の悩みを抱え、ベースに発達・知的問題のある美香さんは、まだ男性経験のない20代だった。さほど年の離れぬ異性と至近距離で長時間話すのは初体験。しかも、雑談で兄のことを話すと「君もお兄ちゃんたちと同じくらい賢いよ」と言われた。

いったん捜査側の描くストーリーにはまると、態度を一変して寄り添うフリをする“事情聴取”の裏を読むことができなかった美香さん。自分のことを初めて真正面から認めてくれた相手が取調べ相手だからと言って、山本刑事に好意を寄せて嘘の自白をしたほうが悪いと、だれが彼女を責めることができるだろう。

事件に関わってきた元新聞記者かつ精神科医の目からは、ことの本質は以下のように見える。

生まれつきのハンディキャップと愛情への過剰な承認欲求を持つが、お年寄り好きの平凡な20代看護助手が高齢患者の病死に遭遇した。警察は刑事に好意を寄せた彼女を利用し、何十通もの供述調書を作って有罪に導いた。検察はそれを知り、あるいは知りうる立場にいながら、知らぬ存ぜぬを裁判で貫き通した。裁判所は第二次再審請求審で後藤真理子裁判長が再審決定を出すまで、容易に見抜けるはずの捜査や起訴の矛盾を繰り返しスルーした。あろうことか、刑事裁判無罪確定後の国賠訴訟では「身内」の検察を守るため警察にだけ責任をかぶせた。そして、中日新聞の調査報道まで、それらすべてを丸呑みして報道を垂れ流してきたメディア。すべての歯車がかみ合って作られた冤罪——。

今、国会では再審法(刑事訴訟法の再審関連条文)の改正が議論されている。呼吸器事件国家賠償訴訟大津地裁判決の翌日、1986(昭和61)年に起きた福井市の中3女子殺害事件で、名古屋高裁金沢支部が再審決定を出した。ほかにも98歳の原口アヤ子さんが冤罪を訴える鹿児島の大崎事件などがある。再審法改正が焦眉の急なことは論を俟たない。

美香さんが国賠訴訟を提訴した理由は、ほかの冤罪被害者のために少しでも役立ちたいという思いからだ。一方で、彼女は今も心傷つきながら毎日を送る。「普通の女の子になりたい!」——そのことについて、次稿で詳報する。 

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