渡された手紙コピーの束
電話から数日後。秦(元同期なので以下、呼び捨て)は中日新聞本社で、美香さんが書いた手紙コピーの束を私に渡しながら、こう言った。
「発達障害の専門家に何人も当たったんだが、異口同音に発達障害者は嘘をつかないというんだ。この事件で逮捕のきっかけは彼女(美香さん)が管を抜いたと自分から嘘を言ったことは間違いないんだが」
私は紙を出した。大きめの丸を三つ、三菱マークのように一部だけ重なり合うように描き、それぞれ、ADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)、LD(学習障害)と書き込んだ。
「専門家が言うのは、ASDのことだね。生真面目で、融通が利かず、自分を曲げないので、人を弄(ろう)するような嘘はつかない。過剰な正義感でトラブルも起こす。だが、ADHDとなると話は別だ。人に合わせるのが性(しょう)みたいな人も多くて、その場の流れで嘘をつくことは、むしろ多い。知的な問題を抱えてると、明らかに分かる嘘もつく。でも人を傷つけるような嘘は少ない」
手紙を一読し、美香さんには発達障害だけでなく知的障害もあるねと指摘すると、秦は驚いた。だが、「新プロジェクトX」で説明したように彼女の誤字脱字や文意の乱れ、文体の稚拙さを説明すると、飲み込みの早いベテラン豪腕記者は、ここから冤罪証明の突破口になるんじゃないかとつぶやいた。
私は獄中鑑定の前、南彦根の美香さんの実家を秦、担当の角雄記記者と訪れた。彼女の小中学校の通知表と作文、絵画などの作品、横顔で写る記念写真などをくまなくチェックし、生まれてからこれまでの経過を両親から丁寧に聴きとった。
これは日ごろ外来で発達障害を診断するのと同じ手順だ。手間がかかるため、今は神経発達症と呼ぶこの障害を避けたがる精神科医は多い。こうした患者千人以上に出会ってきた私からすると、うつ病や不安症のかなりに神経発達症が混じっている。抗うつ薬を処方して休むだけでは治らない多くの人たちを診てきて、美香さんには彼女らと同じ“におい”を感じた。
大切なのであえて記す。子どもが神経発達症だと、親も同じか、その傾向のあることが少なくない。遺伝病ではないが、気質は確かに受け継がれる。ただし、それは同じ家庭環境で生活する影響もあり、環境要因は無関係ということではない。特に、幼少時に親や近親者からの虐待歴があると、子は神経発達症同様の症状を示す。
美香さんにはもちろん虐待歴などはない。しかし、彼女は彼女なりの深い心の傷を抱えて生きてきた。
それが愛着の問題だ。
Attachment(愛着)は、乳幼児期での養育者との結びつきが、長じてのちの対人関係や心の安定に深く影響を与えるという心理学的理論。ボウルヴィという精神科医が唱えて、広まった。
両親は子ども3人を平等に育てた。しかし、前述のように、知的能力に差のある兄たちと無意識に比べられることもあったと美香さんは私に語った。


