━━メディアは成功に光を当てがちなので、読者の皆さんが失敗について知る機会はなかなかありませんよね。YOSHIKIさんも1992年とかなり早い段階で活動拠点を米国に移していますが、日本に帰国したいと思うことはありませんでしたか?
YOSHIKI:それは今でもあります。ほぼ毎日そうですね。その(気持ちとの)戦いです。そうなんですが、ここまで来るともう辞められない、というのでしょうか。挑戦してしまった以上、「挑戦を辞める=生きることを辞める」くらいに自分では思い込んでいまして。
━━YOSHIKIさんが考えるプロデュース業とプロデューサー像とはどういったもので、その醍醐味や、苦労、難しさとはどういったところにあったりするのでしょうか。
YOSHIKI:結局、プロデュースしているアーティストやブランドが成功すれば、基本的にはすべてOKということだと思います。成功しなければ、どんなことでも結局はダメだと。でも、どの時点で成功した、成功できなかったとするか━━。先ほどの持続力に通じると思うんですけど、何をもって「成功」と定義するかによります。僕が目指しているのは、「世界に通用するアーティストをプロデュースしたい」ということです。
とはいえ、その過程でいろいろな出来事があります。例えば、プロデューサーが目立ったほうがいいのか、それとも目立ってはいけないのか。アメリカでは、プロデューサーが前面に出てアーティストはそれを利用するんです。決して悪い意味ではありませんが、日本では、プロデューサーが前に出るとアーティストがかわいそう、となることがあります。すると、「そうか、そういう見方もあるのか」と考えさせられるわけです。
━━確かに、米国の音楽シーンにおけるプロデューサーの存在感や、求められる役割は大きいですね。
YOSHIKI:日本には、良い意味で「侘び寂び(わびさび)」がありますよね。チャリティー活動をやっていてよく思うことがあります。僕はチャリティー活動について必ず公表するんですよ。公表する意味は大きく2つあります。
一つ目は、例えば、自分が「チャリティーに1000万円寄付しました」と公表することで、どこどこで何々が起きていて、誰々が何をしているかが明確になる。二つ目は、僕が寄付することで、ファンの皆さんや世の中の人々が賛同して寄付額が何倍、何十倍、何百倍になるかもしれない。だから、いつも公表するんです(編集部註:「Yoshiki Foundation America」を通じてチャリティ活動をしており、2019年には、Forbes Asiaが「30 Heroes of Philanthropy in Asia(アジアの慈善事業の英雄30人)」の一人に選出)。
アメリカではそれが一般的ですが、寄付を公表するたびに、日本では「なんで、陰でやらないのかな」とお叱りを受けてしまいます。毎回、その風当たりの中でやっていますが、その風潮は変わったほうがいいと思っています。そうは言いつつも、日本の侘び寂び的な良い面がたくさんあることはわかっているのですが。
ただ、プロデューサーとして自分がどういう立場でいればいいのか、考えさせられます。「目立ち過ぎてはいけない、やっぱり縁の下の力持ちがいいのかな」とか。いろいろ考えますが、やはり自分がプロデューサーであるがゆえの“武器”は使うべきだと。
例えば、プロデュースする新人アーティストが「テレビに出たい」となったとき、「YOSHIKIさんが出てくれないと、テレビ番組への出演が決まりません」と言われたら、「それなら私も出ます」と一緒にテレビ番組に出演します。ところが僕が一緒に出ると、今度は「なぜ、自分がプロデュースしているアーティストのテレビ番組に出るんだ!」と叩かれてしまう。「あれ、そうなの?」みたいな。でも僕が一緒に出なければ、その新人アーティストは番組に出られなかったという背景があるわけです。それが難しいですね……。難しいな、と思いますよ。


