30年かけて世界を変えた「ローカル戦略」
「地質学的には、エトナと富士、どちらの火山も比較的若い。けれども、エトナには老成した風格が漂い、富士は若さそのものを体現している。富士の稜線は、動きと飛翔を思わせる。……」
プラネタ氏は、イタリア人作家フォスコ・マライーニの著書『日本の時間』からの一節を引用しながら、今回の来日への思いを語った。1997年から毎年のように来日している同氏だが、富士山麓を訪れるのは今回が初めて。研究肌の氏は、事前に文献を読み込み、エトナ山と富士山の比較研究を重ねてきたという。
プラネタ社がシチリアでワイン事業を本格化したのは1980年代。当時、シチリアは「眠れる巨人」と呼ばれていた。バルクワインの産地として知られていたが、高品質ワインの産地としての認知度は低かったのだ。そんな中プラネタは、「国際品種でシチリアのテロワールを表現し、世界のワインと対等に戦えることを証明したい」と、シチリアで初めてシャルドネを植樹。さらに早くから土着品種に着目し、5つの異なるエリアで栽培を開始する。その類まれなる品質は、世界の目をこの小さな島に向けただけでなく、他の生産者をけん引し、「眠れる巨人」をゆり起こすきっかけとなった。
富士山に最も近いワイナリー
一方、富士山ワイナリーの創設者アーネスト・シンガー氏は、12歳で来日し、60年以上日本で暮らすアメリカ人実業家だ。ワイン輸入会社ミレジムの代表取締役の傍ら、かのロバート・パーカー氏のアジア・エージェントを40年間務め、「アカデミー・デュ・ヴァン」の日本校立ち上げにも携わった。日本ワイン業界の重鎮がワイン造りの地に選んだのが、富士山麓の朝霧高原だった。
場所選定には明確な条件があった。温暖化も見据えて、標高が約600〜900mと高く、昼夜の寒暖差でワインに必要な酸を保てる立地。そして「美しい畑」であること。「富士山は日本の象徴であり特別な場所。その魂を感じてもらえる場所にしたかった」とアーネスト氏は話す。
現在、山梨の畑のほか、富士宮市には2カ所、合計2.7haの自社畑を所有。甲州を中心に、シャルドネ、メルロ、マスカット・ベーリーA等を垣根方式で育てる。除草剤や殺虫剤を使わず、ブドウに適度なストレスを与える自然栽培で品質向上を図っている。2019年からは娘のエイミー・シンガー氏も醸造に加わり、地下120mからくみ上げた富士の天然水をタンク冷却に利用するなど、自然を上手に活用したワイン造りに取り組む。




