中国国内ですでにローカライズが
こうした本場の現地料理と、日本で提供される際になんらかの理由で起きた味の変化をめぐる違和感の表明というのは、実は古くは1920年代当時のグルメ論壇でもあったようだ。
『中国料理と近現代日本:食と嗜好の文化交流史』(岩間一弘編著、慶應義塾大学東アジア研究所叢書、2019年)という研究書のなかに「日本における中国料理の受容:歴史篇━━明治~昭和30年代の東京を中心に」(草野美保)という章があり、次のようなことが書かれている。
「戦前、多くの中国料理のなかから日本人向けの料理が選ばれ、日本人向けの味付けを工夫することで普及が進んだが、大正末には一転し、専門店の料理が日本化されていることを批判する記述がみられるようになった」
さらに「真の料理通から云わせると、あまりに日本ナイズした」ことが理由だというのである。
確かに、本場の味を求める、あるいは知っている人にとっては、100年前もいまも、いわゆるローカライズは望むところではないという気持ちもよくわかる。期待を裏切られたような気がするからだろう。実は1930年代は戦前期において「東京在住中国人数の最も多い時期と重なっており、料理業に携わる者も少なくなかった」(「日本における中国料理の受容:歴史篇――明治~昭和30年代の東京を中心に」)という。
つまり、こういう現象が起こるのは、海外から新しい料理が日本に多く持ち込まれる時代ならではの話なのかもしれない。戦前のある時期もそうだったし、21世紀のいまもガチ中華が次々持ち込まれる時代をわれわれが生きているがゆえなのではないだろうか。
ところで、このローカライズという現象は、何もある料理が国境を超えたときにだけ起こるのではないことに、最近、あらためて気がついた。
前出の黒龍江省発のマーラータンチェーン「楊国福麻辣燙」では、四川から東北に提供する場が移る段階でローカライズが起きていたからだ。どれだけ四川の麻辣味が中国全土に広まったとはいえ、あの刺激の強い味は誰でも食べられるわけではなく、厳寒の地ゆえに煮込み料理が多い東北地方では、痺れの少ない飲めるスープになったのだと思われる。
また、最近、都内で福建出身の中華料理店オーナーがつくるマーラータンを食べる機会があった。店主によると、おいしいスープのダシにこだわっているという。もうこの時点で四川のマーラータンとは別物といえなくもないのだが、福建は山海の珍味を壺で蒸した「仏跳牆(フォーティヤオチァン)」という高級スープで知られるように、ダシを重視する食文化があるからなのだろう。
つまり、マーラータンは日本に上陸する前に、すでに中国国内でローカライズが起きていたのだ。こうして融通無碍に味変を起こしていくのが中華料理の最大の特徴であり、今日のグローバルな大量出現にもつながっているのだろう。


