もうひとつは、「何が健康に良いか、そもそもまだよくわかっていない」という点。たとえばある食品が本当に健康寿命を伸ばすのかを確かめるには、10年単位での検証が必要になる。その間に社会は変わり、人の暮らし方も変わる。すなわち「完全にわかるまで制度をつくらない」という姿勢ではいつまで経っても制度がつくれない。
成田は「制度づくりには中長期的な視点が必要だ」と説く。とはいえ、未来の成果が見える前に政策を打つのは、暗闇のなかでターゲットにダーツを投げるようなもの。しかも、そのターゲットはしばしば場所を変える。だからこそ、「何もしない」という選択よりも、仮説ベースで制度を試しながら、修正していく勇気と柔軟性が求められるというわけだ。
隣に座るヘルディン教授は、静かにうなずき、「アグリー(同意)」と言ったのち、こう加えた。
「制度は、科学的知見を社会に届けるためのインターフェースです。たとえ知見が未成熟でも、制度という形で接点をつくることで、人々の理解と関与を促すことができるのです」
そしてさらに、制度の意義をこう言い換えた。
「制度はただのルールではありません。科学者と社会をつなぐ対話の場でもあるのです。だからこそ、柔軟性と継続的な更新が欠かせません」
宇宙と地上をつなぐ、医療の未来
セッション「トップアスリートの医療知見を社会へ──宇宙医療と地上医療の未来」では、レアル・マドリードの医師でありメディカルアドバイザーでもあるニコ・ミヒッチ、宇宙飛行士の山崎直子らが登壇し、「宇宙医療と地上医療の接続可能性」について語った。
宇宙空間では、骨密度や筋力の低下、免疫機能の変化など、生身の身体が抱える課題が極端な形で表出する。それらは高齢者や長期療養者が直面する変化と共通しており、極限環境下で得られる知見が、日常の医療や福祉に還元される可能性があるという。
山崎は、長期の宇宙滞在中における食の役割に言及し、「香り」や「噛みごたえ」といった感覚が、心理的な健康にも深く関わることを共有。その話を受けて、レストランétéの庄司夏子シェフが登壇。監修するSDNの焼き菓子ブランド「Sablé de Tokyo」を紹介した。
Sablé de Tokyoは、乳製品や卵、小麦を使わないビーガン・グルテンフリー仕様でありながら、それらをあえて前面に打ち出さず、誰もが楽しめる味わいと美しさを追求している。「誰かの制限ではなく、“みんなが楽しめる”お菓子であることを目指したい」と語る庄司の姿勢には、身体的制約のある人への配慮と同時に、境界をつくらない価値観が込められていた。
香り、味、食感といった身体感覚を起点に、境界線のない食文化の再設計を目指すその取り組みは、医療的な制約がある人々に“選択肢”を増やすものともなるだろう。


