経済・社会

2025.07.20 08:15

歴史認識は政治のために 盧溝橋事件から88年を迎えた中国の事情は

中国共産党序列5位の蔡奇・政治局常務委員(Photo by Kevin Frayer/Getty Images)

中国共産党序列5位の蔡奇・政治局常務委員(Photo by Kevin Frayer/Getty Images)

日中戦争の発端になった盧溝橋事件から88年を迎えた7日、中国各地で記念行事が行われた。事件が起きた北京郊外にある「中国人民抗日戦争紀念館」には、中国共産党序列5位の蔡奇・政治局常務委員が出席した。習近平国家主席は同日、内陸部の山西省を訪れ、中国共産党の軍が最初に本格的に日本軍と戦い、「勝利した」とされた「百団大戦」を巡る記念碑に献花した。防衛省防衛研究所の庄司潤一郎研究顧問は、中国側の一連の行動から様々な思惑や計算が見て取れると指摘する。

抗日戦争紀念館ができたのは1987年だが、中国トップの国家主席が盧溝橋事件を巡る記念行事に出席したのは2014年しかない。庄司氏は「中国は14年当時、安倍晋三首相(当時)の歴史認識に反発しており、習氏の出席には強いメッセージを出す意図があったと指摘されています」と語る。

同時に習近平氏が今年、山西省を訪れた背景には、「抗日戦争の中核としての共産党」を強調する狙いがあるという。「日中戦争当時、正面戦場において主に日本軍と戦っていたのは、共産党ではなく、国民党軍でした」(庄司氏)。同氏によれば、中国では以前、日中戦争を、盧溝橋事件から終戦までの「8年」とみなしていた。最近は教科書などで、共産党の役割を強調する目的で、満州事変(1931年9月)から数えて「14年」の抗日戦争としている。

一方、蔡奇氏は式典で「88年前の今日、日本軍が意図的に事件を引き起こし、全面的な侵略戦争を強引に仕掛けた」などと発言した。日本による侵略は間違いのない史実だ。ただ、庄司氏は「蔡氏は、盧溝橋事件を明確に日本による計画と断定しましたが、これまで蓄積されてきた研究からはかなり違和感もありました」とも語る。庄司氏によれば、研究の進展、特に最近の「蒋介石日記」や台湾における史料の公開により、盧溝橋事件の契機となった「最初の一発」やその後の事件の展開が、いずれも偶発的であったとの見方がほぼ定説になっているという。庄司氏は、「私も参加した『日中歴史共同研究』(2006年~2010年)において、中国側でも、歴史的推移から必然性は帯びているが、『偶然性を持つかもしれない』としていました。この約20年で中国の見解が変化したと言えます」と指摘している。

「変化」は、日中戦争における国民党の役割の評価についても見られた。蔡氏は、「中国共産党は、抗日戦争の最前線で勇敢に戦い、進路を導き、すべての民衆の抗日戦争の支柱となった」と述べた。しかし、庄司氏は、「胡錦濤国家主席当時、抗日戦争紀念館における戦後60年(2005年)の特別展示では、国共合作にも触れつつ国民党の軍の正面戦場における役割にも言及していました。認識の変化には中台関係が影響を及ぼしているようです」と語る。

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