自動車の制限速度を守らない人が多い。その原因のひとつに、人間のある心理現象があるという。非常に簡単な方法でそれを克服し、自動車の平均スピードが落ちたという実験の報告がなされた。
たとえば、道路標識に制限速度「60」と示されている場合、それを見たドライバーは60キロメートルで走ろうと考える傾向がある。また1974年に行われた、ある数字を見せてから国連加盟国のうちアフリカ諸国が占める割合を推定させるという実験では、大きい数字を見せたときは多く、小さい数字を見せたときは少なく見積もる傾向が表れた。こうした、先に見た情報にその後の行動を寄せてしまう心理的現象を、情報がアンカー(錨)のように行動を制限することから「アンカリング効果」という。
東京大学大学院総合文化研究科の植田一博教授と、大貫祐大郎大学院生(当時:現在は成城大学データサイエンス教育研究センター/社会イノベーション学部専任講師)からなる研究チームは、アンカリング効果を抑制して、人の行動を望ましい方向に誘導する方法について研究を重ねてきた。それは「ナッジ」だ。

報酬や罰則などを使わずに人の自発的な行動を促す手法「ナッジ」は以前から知られているが、研究チームは新たに「レンジナッジ」という手法を提案した。レンジとは範囲のこと。たとえば、制限速度を「60」ではなく「0 - 60」と範囲で示すことで、ドライバーはより低い速度で運転するようになるというのだ。
研究チームはそれを検証すべく、1199人を対象に7つの実験を行った。代表的なものが、ドライブシミュレーターを使った制限速度の実験と、手洗いの時間に関する実験だ。手洗いは、「20秒以上」と示すよりも「20 - 60秒」と示す方が手洗い時間が長くなるという仮説の実証だ。

実際、それぞれ上限または下限のみの提示よりも、範囲を提示したほうが望ましい結果が表れた。制限速度の実験では、上限のみの提示では速度超過の平均が時速70.36キロメートルだったものが、範囲の提示で67.12キロメートルまで低下した。低下率は約4.63パーセントと小さいようだが、平均速度が時速1キロメートル低下するだけで、EU圏では約2100人の命が救われる可能性があるとの報告もあるから、馬鹿にできない。
数値の書き方をちょっと変えるだけで、あまりコストもかからず高い効果が表れるのならありがたい。酒量を1日「2杯まで」とするより「0 - 2杯」と書くほうが抑制効果が高い可能性もあるという。これなら今日からでも家で試すことができる。



