経営・戦略

2025.07.17 11:00

株式も債券も持たない、住宅建設業界ビリオネアが「唯一」投資するもの

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投資の原点と株式市場との決別

ニールの初期の投資はもっと多角的だった。フロリダ州上院議員も務めた同氏は、少年だったときの1950年代から1960年代にかけて、故郷のアイオワ州デモインで、お金を稼ぐためのさまざまな方法を学んだ。洗剤を瓶詰めして販売したり、芝生を刈ったり、新聞配達をしたり、トラックに仲間を乗せ、清掃や運搬を請け負ったりした。高校生の時点で、年収は数千ドル(数十万円)に達していた。ときには、教師だった母親より多く稼いだ。

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1960年代半ば、ニールは16歳前後で最初の投資を行なった。対象は、食肉加工の先駆者Iowa Beef Packers(アイオワ・ビーフ・パッカーズ)の株式100株だ。ニールは1500ドル(現在の価値で約1万5400ドル。約228万円)、つまり、1株15ドルで購入したことを覚えている。同氏はその株式を大学2年生まで保有し、約3000ドル(現在の価値で約2万6900ドル。約398万円)で売却したと話している。つまり、投資額の2倍を手に入れたということだ。

幸運は続かなかった。ニールは1970年代初頭、最初の株式ブローカーから、フロリダ州のモービルホーム(トレーラーハウス)専用ローン会社Delta Corporation of America(デルタ・コーポレーション・オブ・アメリカ)への投資を勧められた。ニールは1株28ドル(約4144円)で100株を購入した。1971年10月、一時的に34.50ドル(約5106円)まで上昇したものの、悪い決算報告を受けて株価は急落し、その後も下落を続けた。

ブローカーはニールに、さらに投資を続けるよう勧めた。同氏はその助言に従ったが、結局、デルタ社は1970年代半ばに解散した。「ブローカーは14ドル(約2072円)で追加購入し、平均単価を下げるよう勧めた。私はその通りにしたが、株価は0ドルまで下落した」(そのブローカーは業界を離れ、肉屋になった)。

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ふたり目のブローカーも「結果は同じ」だった。1972年、ニールは株式市場への投資を完全にやめた。同氏が今好んでいる戦略は、自分が最もよく知っている業界、つまり、住宅建設業のみに投資することだ。

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翻訳=米井香織/ガリレオ

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