「USAフォー・アフリカ」からライブ・エイドへ
その後、バンド・エイドの成功に触発された米国のミュージシャンらが「USAフォー・アフリカ」というプロジェクトを立ち上げた。そして生まれた楽曲の『We Are The World』は、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが作詞作曲を行い、クインシー・ジョーンズがプロデュースを担当した。
1985年3月7日にリリースされたこのシングルは、レイ・チャールズやスティーヴィー・ワンダー、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル、ウィリー・ネルソン、ブルース・スプリングスティーン、シンディ・ローパーらがソロパートを務め、世界で1000万枚以上を売り上げた。
ゲルドフはその後、この英米の2つのムーブメントを1つのコンサートに統合することを発案し、数カ月後に「ライブ・エイド」として実現した。その目標は、できるだけ大規模なイベントにすることで、最低でも2会場での開催が構想された。そして、ロンドンではエルヴィス・コステロやダイアー・ストレイツ、デヴィッド・ボウイ、クイーン、エルトン・ジョン、ジョージ・マイケル、ポール・マッカートニーらが出演した。
フィラデルフィアでは、RUN DMCやリック・スプリングフィールド、サンタナ、ザ・カーズ、パティ・ラベル、ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、ティナ・ターナーなどが出演した。なお、当時の大スターだったマイケル・ジャクソンとブルース・スプリングスティーンは、不参加だった(スプリングスティーンは新婚旅行中だった)。

16時間以上におよんだライブ・エイドのパフォーマンスの中には、数々の象徴的な瞬間があった。フィラデルフィアで若きベット・ミドラーがさらに若いマドンナを紹介した場面や、ジャック・ニコルソンがU2を「自分たちの感情をストレートに伝えることに何の抵抗もないバンド」と紹介した場面。フィル・コリンズがロンドンで演奏後、コンコルドで大西洋を横断して、同日にフィラデルフィアでレッド・ツェッペリンのドラムを務めた出来事。そして、クイーンが名曲『Radio Ga Ga』で自分たちのキャリアがまだ終わっていないことを見せつけた場面だった。
これらのすべてがインターネットもEメールも、携帯電話もない時代に起こったのだった。このイベントのライブ中継は、衛星を用いてテレビで行われた。そして、それは成功した。
ライブ・エイドは、飢饉救済のために1億2500万ドル以上の寄付を集めた(1986年にSpin誌が資金の一部が不適切に使われたと報じたが、ゲルドフはこれを否定している)。ここで明らかなのは、このイベントが世界の貧困と飢餓に対する人々の意識を高め、各国のリーダーたちがこの問題に向き合うきっかけを作ったことだった。
ゲルドフはその後も慈善活動を続け、英国女王からナイトの称号を授与された。
このコンサートは、後に開かれた米国の小規模農家を支援するファーム・エイドや、2005年のLIVE 8、2001年の同時多発テロの直後に開催されたAmerica: Tribute to Heroesなどの後のチャリティーイベントの先駆けにもなった。


