サイエンス

2025.07.15 13:00

ナポレオンを敗北させ「夏のない年」をもたらした、史上最大級の火山噴火の記録

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しかし、この火山灰の雲が引き起こしたのは、奇妙な空の色だけではない。エアロゾルの層が地球全体を覆い、日光が地球表面に届きにくくなったため、一連の異常気象が引き起こされた。

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まずは、気温が低下し始めた。1992年に学術誌『Natural Hazards』に発表された研究によると、1815年末までに地球の気温は最大で摂氏1.2度低下している。その影響は著しく、作物の生育期が大幅に短縮され、不作となるなどの影響が起きた。

その後、夏のない年が訪れ、ナポレオンから勝利を奪った

タンボラ山の噴火の翌年(1816年)、世界は、記録史上で最も激しく広範な気候異常の一つを経験した。

地球の気温を低下させた硫酸塩エアロゾルの層が、生態学的に信じがたい1年を世界中にもたらそうとしていた。摂氏1.2度の気温変化はわずかに思えるかもしれないが、地球全体の気象系を混乱させるには十分に大きく、その結果、1816年は「夏のない年」として記憶されることとなった。

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ヨーロッパでは、季節外れの低温、大雨、降霜が作物に被害をもたらした。ハンガリーとイタリアの一部では7月に雪が降り、東欧の一部では、火山灰によって赤く染まった雪が報告された。ヨーロッパ大陸各地で農家が凶作に見舞われ、食料不足とそれに伴う暴動が発生した。カナダ東部や米国北東部でも6月に吹雪が生じ、ペンシルベニア州では7月や8月に河川や湖沼が凍結した。

アジアでも、同様の破壊的な影響が及んだ。インドではモンスーンの時期に雨が降らず、その後、遅れて集中豪雨が発生し、ガンジス川流域を広範囲に洪水が襲った。これらの異常気象が重なり、感染症の蔓延を引き起こす条件が整った。

1817年に、ベンガル地方でコレラの最初の世界的大流行が発生した。交易路を通じて、東南アジア、中東、アフリカ、そして最後にはヨーロッパへと急速に広がった。

これらの大規模災害が相次ぐなか、タンボラ山噴火の広範な影響は、地政学にまで影響を及ぼした。1815年のワーテルローの戦いでは、噴火の影響を受けたと思われる豪雨が戦場を泥の沼地に変えた。その結果、ナポレオンの攻撃開始を遅らせ、連合軍の最終的な勝利を助けたとされている。

現在のタンボラ山は、自然の大いなる力を思い出させながら、静かに存在している。噴火が気候と人類史に与えた影響は、我々の世界が相互に関連しあい、微妙な均衡の上に成り立っていることを示している。当初の被害は局地的なものであったが、長期的な影響は地球規模に及び、気象パターンや経済、さらには歴史の流れさえも変えてしまった。

タンボラ山のような過去の噴火を研究する取り組みは、将来の火山活動の影響に関する重要な知見を提供している。現在、人類が気候変動や環境破壊といった課題に直面するなかで、タンボラ山の噴火は、地球を形作る自然の力を理解し、敬意を払うことの重要性を物語っている。

forbes.com 原文

翻訳=高橋朋子/ガリレオ

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