サイエンス

2025.07.15 13:00

ナポレオンを敗北させ「夏のない年」をもたらした、史上最大級の火山噴火の記録

Shutterstock.com

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火山は、最も畏怖の念をもたらす自然現象の一つであり、風景や生態系を大きく変化させる力を持つ。噴火が起こると、溶岩や火山灰の劇的な光景がたちまち人々の想像力を捉えるが、その真の影響は、しばしば何年も後まで残る。

記録に残る歴史上で、現在のインドネシアにあるタンボラ山で1815年に起こった噴火ほど、環境全体を変容させる影響をもたらした噴火はない。この有名な大規模災害は、山体を著しく変形させ、標高が4000フィート(約1220m)以上も低下した。噴火によって、直径3.7マイル(約6km)、深さ約2000フィート(約610m)に及ぶカルデラ(巨大な陥没地形)が形成された。

大気中に噴出された推定10立方マイル(約42立法km)もの物質は、地球の気温低下や異常気象をもたらし、「夏のない年」と呼ばれる一連の事象を引き起こした。

この噴火は、周辺地域に打撃を与えただけではない。地球全体に、消えない痕跡を残した。

複数の大陸で凶作が発生し、飢饉と食料をめぐる暴動を引き起こした。世界初のコレラ大流行が発生し、ナポレオン戦争におけるワーテルローの戦いにまで、噴火の影響は及んだ。

1回の噴火の影響が地球全体を覆い、我々の世界に大きな変化をもたらした経緯について、以下で紹介していこう。

タンボラ山の噴火は、10年近くに及ぶ破壊の総仕上げ

タンボラ山の噴火は、単独で発生したものではない。その何年も前から、近隣を中心とした世界各地で火山活動が続いていたところへ、人類史上で最大級の壊滅的な自然災害が起こったのだ。

1808年から1814年にかけて火山噴火が相次ぎ、火山灰とガスが大気中に放出された。1808年に南西太平洋で起きた詳細不明の大噴火に続き、1812年にはカリブ海のセントビンセント島のスフリエール山、同年にインドネシア、サンギヘ諸島のアウ山、1813年に南西諸島の諏訪之瀬島、1814年にフィリピンのマヨン山が噴火した。

タンボラ噴火の前に起きたこうした一連の噴火は、大気中の塵を徐々に蓄積させ、日光を遮り、地球の温度を低下させていた。

タンボラ山では、1812年頃から火山活動が活発化し、1815年までに、マグマ溜りの圧力が極度に高まっていた。同年4月5日、山はとうとう噴火を開始し、巨大な灰の噴煙を空に放った。噴火が頂点に達したのは4月10日で、爆発音は1600マイル(約2575km)離れた場所でも聞こえたという。

火山灰の雲、冷たい空気、赤く染まる空

タンボラ山の噴火は、たちまち壊滅的な影響を及ぼした。噴火の規模があまりにも巨大だったため、火山噴出物は成層圏の高さまで達し、灰の雲が空を覆い、世界中に拡散した。

噴火に伴う降灰は、インドネシアをはるかに超えて広がった。インド洋を航行中だった英国船の報告では、海に浮かぶ大量の軽石が確認され、最大で幅5kmにわたって広がっていたという。

火山から約370マイル(約600km)離れたスラウェシ島のマカッサルでは、屋根に積もった火山噴出物の重さで建物が倒壊した。

火山灰の雲は厚く空を覆い、周辺地域を最大2日間、ほぼ完全な暗闇に包んだ。7月中旬に収束するまでに、タンボラ山の噴火は記録史上、最も多くの物質を噴出した。火山灰は、南シナ海やベンガル湾など、数千km離れた地域にまで到達した。

火山灰と二酸化硫黄が、高高度の成層圏に拡散したことにより、世界中で光学現象が発生した。ロンドンでは、燃えるような赤い夕焼けが空を染めた。その非現実的なほどの鮮やかな色は、微細な火山灰粒子が日光を散乱させることで生じたもので、タンボラ山がもたらした破壊を、恐ろしいほど美しいかたちで人々の記憶に焼きつけた。

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翻訳=高橋朋子/ガリレオ

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