ジェーン・バーキンがCBSのインタビューで語っているように、唯一無二のバーキン・バッグの物語は空港で始まった。彼女がパリからロンドン行きのエールフランスの便に乗った際、搭乗手続きの時に客室乗務員が彼女の席をファーストクラスにアップグレードしてくれたという。機内に乗り込むと、彼女はとても礼儀正しい紳士の隣の席に案内された。席に座ろうとした時、彼女のバッグの中に入っていた手帳が床に落ち、紙片があたりに散らばった。すると、隣席の紳士は彼女に、ポケット付きの手帳を使ったらどうかと提案した。バーキンは「どうすればいいの? エルメスはポケット付きの手帳を作っていないわ」と答えた。この時、紳士は自分の身元を明かした。彼は1978年から2006年までエルメスの会長を務めたジャン=ルイ・デュマだった。
バーキンは彼に、若い母親としてすべての必要性を満たした革製のバッグを見つけることがどれほど難しいかを語り、「ケリー・バッグ(エルメスの小型ハンドバッグ)より大きくて、スーツケースほど大きくないバッグ」を求めていると説明した。2人は機内に備わるエチケット袋の紙に、彼女が希望するバッグのスケッチを描き、ジャン=ルイ・デュマはそれを持ち帰った。1カ月後、デュマはバーキンに電話をかけ、ボール紙で造られた試作品を確認してもらうために彼女を招いた。2人で詳細を話し合った後、エルメスはこのバッグに彼女の名前を付けることを提案し、彼女はそれに同意した。
コルミンドとの会話で、我々はそれぞれの品物の背後にある物語が、売価との関連において極めて重要であることを話し合った。コルミンドは次のように述べた。「実際に、その品物の固有の価値を作るのは物語であると私は考えます。物語がなければ、それは単なる非常に高級で品質が良い物体に過ぎません。しかし、物語がその値打ちを信じられないほどのレベルに引き上げるのです。今や残された問題は、人は歴史の一片を所有するためにどれだけ高い金額を支払うのか、ということだけです」


