インドネシアからの移民として、アメリカンドリームを体現
1968年にインドネシアで生まれたゴウは、彼女のような中国系住民を標的としたスハルト政権の政治革命の末期に、両親と姉とともに3歳で国外に出た。家族はニューヨーク州バッファロー近郊の人口2000人の町に移住したが、ゴウはその頃父と一緒にNFLのバッファロー・ビルズの試合を観ながら、統計の説明を受けて、数学を学んだという。
これは、大手法律事務所ローネンスタイン・サンドラーのスタートアップ担当弁護士のエド・ジマーマンが語った話だ。彼はゴウと約20年にわたり親交を持ち、共に仕事をしてきた人物でもある(2023年12月、ゴウはバッファロー・ビルズの株式2%を約1億ドル[約147億円]で取得したと報じられた)。
努力して良い教育を受ければ、運を引き寄せられる
1980年代半ばにゴウが通ったニューヨーク州北部の高校では、大学進学率は40%に過ぎなかったという。「努力して良い教育を受ければ、運を引き寄せられる」という言葉に背中を押された彼女は、ブラウン大学に進学して、工学を専攻した(彼女は現在、同大学の理事を務めている)。そして、卒業後はベイン・アンド・カンパニーに数年間コンサルタントとして勤務し、1996年にスタンフォード大学でMBAを取得した。
創業からわずか1年のフェイスブックに対する投資を牽引
ゴウはその頃ソフトウェアのスタートアップを共同創業したが、1999年にシリコンバレーを拠点とするVCのアクセルに転職し、15年間在籍した。彼女はそこで同社のマネージング・パートナーに昇進してファンドを率いるようになり、2005年にFacebookへの初期投資をAccelが行った際には、その意思決定を牽引する立場にあった。当時のフェイスブックは創業からわずか1年という粗削りなスタートアップで、ハーバード大学の寮にある、ザッカーバーグの部屋から生まれたばかりという頃だった。
ゴウの名前は、これまで一度もフェイスブック(現メタ)の規制当局への提出資料に記載されていないが、フォーブスの推計で彼女は2012年の新規株式公開(IPO)時点で同社の株式約800万株を保有していた。この持ち分の価値は、現状の株価で50億ドル(約7350億円)を超えるが、ゴウはその後、時間をかけて持ち株を売却した。また、彼女は2013年にカリフォルニア州で離婚しており、同州では原則として資産が元配偶者と均等に分けられるため、離婚していなければさらに多くの資産を築いていた可能性が高い。


