測定基準としての人間知能
「空の高さはどれくらい」と問う古典的ななぞなぞについて、深く考えたことはあるだろうか。
きっと高さがあるはずだ。
子どもたちはこの悩ましい質問を親に投げかける。一般的な答は、空とは地球大気圏の外縁までを指すというものだ。その閾値に達した後、空は宇宙空間へと続いていく。「空の高さ」とは、私たちの大気圏に基づいた有界の概念であるか、あるいは拡大し続ける宇宙の果てまで続く、ほぼ無限の概念なのである。
筆者がこのなぞなぞに注目を促すのは、それが人間の知能の本質に関する同様の問いをいくらか反映しているからである。
人間の知能はどこまで高められるのだろうか。
言い換えれば、私たちが現在見ている知能は、おそらく私たちの上限ではない。私たちの知能を過去の世代と比較すれば、世代ごとに知能が向上し続けていることは、比較的明白であるように思われる。2100年に生まれる人々は、現在の私たちよりも知能が高いだろうか。2200年生まれについてはどうだろうか。総じて、ほとんどの人は、そうした未来の世代の知能は、現時点での一般的な知能よりも高くなるだろうと推測するだろう。
その論理を受け入れるならば、先ほどの「空の高さ」に関連する側面がその厄介な頭をもたげてくる。人間の知能の能力は、世代ごとに向上し続ける。ある時点で、能力が上限に達した世代は存在するのだろうか。その未来の世代が、人間の知性が到達できる最高点を代表することになる。それ以降の世代は、同等の人間知能を持つか、それ以下であり、それ以上にはならない。
私たちがその問いへの答えを求める理由は、その上限が存在するか否かを知るという、現時点での差し迫った必要性があるからだ。先ほど、AGIは人間の知能と同等になり、ASIは超人的な知能になると指摘した。AGIはどこで上限に達し、私たちはそこに線を引いて「ここまでだ」と言えるのだろうか。その線より上は、超人あるいは超知能と解釈されることになる。
現時点では、人間知能を測定基準として使うことは曖昧である。なぜなら、私たちはその物差しの長さがどれくらいなのかを知らないからである。おそらく、その物差しはある特定の点で終わるのかもしれないし、無限に続くのかもしれない。
この重い考えについて、注意深く思索してみてほしい。


